EARTHLING

１
「フー…」
　ユージスは諦めのため息を吐いた。
　5人の背中を見送った立ち姿はどこか寂しげでもある。
　またいつものトラブルが始まった。1ヶ月前は輸送機の墜落事故に遭遇し、2週間前には海底油田盗難事件に巻き込まれ、息つく暇がない。
　便利屋稼業の宿命として事件の捜査なり救助なりの一翼を担うことは他チームでもある。しかし先の事件のようにチーム全体が巻き込まれ容疑者の疑いがかけられるなど、今までに例がない。チーム・グローブだけである。なぜチーム・グローブだけに次から次へと災難が降りかかるのか。他のチームに比べればその度合いの異常さは明らかだ。
　だがそれら一連の事件がチームにとって、少なからずプラスに働いている事は否めない。事実、史上最速でのCランク昇格がその証拠だ。これも運命と納得するしかないのだろう。
「フー…」
　ユージスは改めてため息をつく。
　もう事件は走り出してしまった。後戻りを考えている余裕はない。
（これでまた箔が付くだろうな…）
　チームリーダーは心の中でそうほくそ笑むと、事件解決の糸口を持つであろう男の元へ歩み寄った。

　寝そべったまま紳士は微動だにしない。瞼が時折、瞬きを繰り返すだけである。目線の先、ビルの谷間にポッカリと抜けた青空はどこまでも高く感じる。「私は何をしていたのだろう？」そんなセリフが呟かれそうな惚けっぷり。
　ふとそこへ、テレビ画面で見たことのある顔が影を作った。
「大丈夫ですか？　お客さん」
　声は初めて聞く。予想していたより高い。この男は確か…。
「ウチの常連がすみません。まさか、いきなり殴りかかるとは…」
　男のエプロンには上下逆さまのCafe Lexiconの文字。……レキシコンだと！？
　紳士はやおら頭を持ち上げ、男の顔を確認した。
「…あなたは確か、ユージス…」
　男の顔が一瞬歪み、それから微笑んだ。
「俺をご存じですか。えー…」
「ファロージャ・ブラックです」
　ここでようやく、紳士ファロージャ・ブラックはつい今し方までバラバラだった記憶のパズルを1つへ収束させることが出来た。
「ブラックさん。大丈夫ですか？　肩を」
「いえ結構」
　そう言うとファロージャは、何事もなかったようにすっくと立ち上がり、スーツに付いたホコリを払う。ハンブルグ帽を拾うことも忘れない。
　男も曲げていた膝を伸ばし、ゆっくり立ち上がった。
　思った以上に背が高い。ファロージャの目線がちょうど大男の口元ぐらいである。
「誠に面目ない」
　先に切り出したのは、大男の方だ。深々と頭を下げ、ファロージャに非礼を詫びる。
「先程、殴りかかった者はウチの常連の者…」
「あなたが謝る必要はありませんよ。ミスター・ユージス・レキシコン」
　ファロージャの落ち着いた声がユージスの顔を上げさせた。
「あれは少々、私の遊びが過ぎたのです。いわば自業自得ですよ」
　穏やかに表情を崩すファロージャ。まるで旧知の友人に話しかけるような顔だ。
「しかし…」
　左手を眼前へ突き出して大男の言葉を遮り、紳士は続ける。
「あれは私の油断が招いたこと。あなたのような方が心を砕く必要はありません。実際の所、あそこまでキレイに投げられたのはあれが初めてでして」
　ファロージャが戯けたように笑みを零すと、大男もつられて柔らかい表情になる。
「ありがとうございます。彼らにはあとで詫びを入れるよう…」
「それも必要ありません。これからいやでも彼らを追いかけなければ」
「失礼ですがあなたは一体…。俺のこともご存じのようで」
「これは申し遅れました。
　私はファロージャ・ブラックと申します。地球界警察機構に所属する、まぁ平たくいえば刑事ですな」
　軽く会釈するファロージャ。
「刑事！？　それじゃ…」
「あなたはミスター・ユージス・レキシコン。かのアルベルト・レキシコンの息子さんでしょう？」
　間髪を入れず紳士が強引にセリフを繋いだ。話しの主導権を取られたことよりもむしろ、彼が発した意外なセリフにユージスは驚きを隠せない。
「驚かれることはない。先日ニュースに出ていたではありませんか」
　ファロージャが言っているのはあの海底油田盗難事件の解決後に受けたインタビューのことだろう。
「それは分かりますが、なぜ親父の名が」
「我々のような元軍関係者には有名ですよ。先の戦争で英雄的な活躍をされたアルベルト・レキシコンの逸話は。
　その息子さんとなれば記憶に残ります」
　そう言うと、ファロージャは少し遠くを見つめる。
「私は一度だけ銃口を共にしたことがありました。彼は戦士として優れた方であり、人間としてもとても立派な方でした」
　紳士の目がますます細まる。記憶の底にあるその頃の光景を思い出しているのだろう。ベルティとのやり取りをしていたときとは違う、穏やかな表情。
　だが、それもつかの間のこと。
　紳士はすぐに、その本当の顔を飄々とした微笑みの下に隠してしまった。ベルティたち、チーム・グローブのメンバーと交渉をしていたあの顔が戻ってくる。
「いずれ、お父上にはお礼の献花を捧げに参ります。
　今はかのように仕事の最中ですから」
　ファロージャはそう言うと、手にしたハンブルグ帽を胸に当て、軽く頭を下げた。
「そうですか。それは是非。親父も喜ぶと思います」
　ユージスも軽く頭を下げる。それは少しぎこちなかった。このカフェ・レキシコンの店長は、社交辞令というか“大人の会話”が苦手である。どうもこのファロージャ・ブラックという男の丁寧すぎる行動にも慣れない。
「ええ。お父上にはお世話になりましたから。
　それと……」
　帽子を被りながら、紳士がそこまで続け、いきなり。
「そのお父上に免じて今は見逃しますよ。チーム・グローブのリーダーさん」
　ユージスの耳元で囁いた。
「！！」
　驚きの余り大男はその場で固まってしまう。
　父の、アルベルト・レキシコンの名前が出たことで油断していたとはいえ、ユージスはファロージャの動きが読み切れなかった。
　優雅にハンブルグ帽を被り終えたと思った次の瞬間には、紳士が自分の間合いに入っていたのだ。囁き声が耳元で聞こえるほどに。
「では、またいずれ」
　ファロージャは声のトーンを戻してそれだけ言い残し、そのまま歩を進める。
（これで釘は刺せた。長居はしていられないな）
　革靴の下に感じるウッドデッキの感触を楽しみ、確認しながら、彼は左耳にイヤホンに似た小さな通信機を再び装着した。靴音が変わるのと同時に通信を始める。
「こちらファロージャ・ブラック。例の月基地事件の重要参考人と思しき少女を発見。現在、目標はエアドライブを使い、南南東路33番ゲート方面へ向かっている模様。該当事件の追跡担当車両は同区内のカフェ・レキシコンを経由し、目標を追跡せよ」
　言い終えるが早いか、ベルティのスポーツドライブが走り去った方向へ、ファロージャは駆けだした。彼は追跡車両を待っていられるほど仕事に対して不真面目な性格ではなかった。
　1人その場に取り残されたカフェ・レキシコンの店長は紳士の靴音のテンポが速まってからゆっくりその後ろ姿を振り返った。既にファロージャの姿は店先の通りだけでなく、視界からも消えていた。隣りのビルの陰へ入ったのだろう。
（ベルティが睨んだとおり、只者ではなかったか…）
　耳底にはまだあの囁き声が残る。
「フー……」
　ユージスは三度目のため息をつき、重い足取りで店舗内へ戻った。途中、しきりにこちらを不思議がっていた他の客たちをなだめることを忘れずに。