EARTHLING

１ 　
　かつてその規模がアジア州でも５本の指にはいると言われた極東島国の首都は、戦後その拠点を海上に建設されたウォーターフロントへ移し、名をトキオグラウンドシティと改め、発展を続けていた。
　都市の中心部には高さ1332ｍを誇るトキオセントラルタワーがそびえ、そこから32本の道路が周縁部へ向けて放射状に延びる。各道路はそれぞれが指し示す方角の名前、例えば中心部から北へ向かって延びる道路ならば北路(ノース・ウェイ)というようにそれぞれの名称が割り当てられ、それらはまとめて方角路(ウェイズウェイ)と呼ばれている。都市はその中でも特に幅員のある東西南北の方角路を基点とした４つの区画に分けられていた。
　その一角、主に商業・観光設備の集中する東側、南南東路(サウスサウスイースト・ウェイ)の33番ゲートからセントラルトキオタワーへ向かって50ｍほど進んだ場所に、１軒のオープンカフェがある。２年ほど前のレトロブームに乗り、旧世紀のおしゃれな喫茶店風に仕上げられた建物の外観は、ハイテクな素材を駆使して建てられた周囲の建物より愛嬌を感じさせる。給仕の方法も今となっては珍しくセルフサービス。注文を出せば即座にテーブルの上へ料理が並ぶようなオートメーション化は一切行われていない。そうした前時代的なこの店のスタイルは密かなブームを呼び、少ないながらも客足が途絶えることはなかった。
　その店の名はレキシコンと言う。
　店の中でも、最も奥まった位置にある４人掛けのテーブルはいつも予約席となっている。メインストリートから離れている上、三方が建物で囲まれているため決して景色が良いとは言えない。このカフェの中でも一番おすすめできない席をなぜ、わざわざ予約するのか。初めてここへ訪れた客は大抵がこの疑問を抱く。
　今し方このカフェに入り、カフェオレを頼んだ男も、その席を目にして同じ疑問を持った。しかし男はその事をさして気に止める様子もなく、通りを見渡せる席へ腰を下ろした。ホンブルグ帽を脱ぎ、手にしていたニュースペーパーに視線を移す。全身を真っ黒なスーツに包み、加えてネクタイまでも黒という格好は周囲に不思議な違和感を与えていた。
　男が紙面の１ページ目を読み終え、２ページ目へ移ろうと改ページのボタンを触った時、店内へ若い４人組のグループが入ってきた。男は目線を悟られないよう、一瞬だけその４人組を一瞥する。男女２組。男１人、女１人、少年１人、少女１人の内訳。それだけを確認し彼はさっさと４人から視線を外して、再び紙面を眺めはじめる。
　だが彼はもう少し継続してそのグループを観察するべきだったろう。男の横を通り過ぎ店の奥へと入った４人が、ごく自然に予約席へ座った様子を。その中の女が目配せを素早く他の３人と交わしてスツールへ腰を下ろすその立ち振る舞いを。
「さて、言う通り来たぜここへ。本当にまだ食うのか？」
　上下する、声質と裏腹な線の細いアゴ。横長の長方形レンズのサングラスに向かいの女性が映り込んでいる。男はそのまま続けた。
「いくらゴチだからって遠慮しろよ。アーサーだって…」
「最初に言い出したのはあなたでしょう」
　静かだがキツさを感じさせる口調は、紅いリップの色と実に似つかわしい。逆三角形のシルバーイヤリングとペアの、豊満な谷間に載せられたシルバーペンダント。彼女の瞳はすぐ隣りへ座った少女の美しい黒髪を捉える。
「ねぇ？　ユリカ」
「わ、私はもう食べませんよ！」
　慌てて交差を繰り返す両手。細くしなやかな指。その指先が薄く色づいた下唇に触れ、少女の視線を上へ向けさせる。
「でもぉ…、ちょっとくらいなら宜しいでしょうか？
　アーサーくん、どう思われますか？」
　少女が向かいの少年へ問いかける。そのメガネの奥でキラめく乙女の訴えを少年が気付かないはずもなく。
「もう！　アルのバカァッ！」
　少年は彼の左隣にいるサングラスの男に、非難とも、助けとも、ツッコミとも思える声を上げた。
「今月ピンチだったのにぃ！」
「待て待て！　オレは関係ないだろう！？」
　少年に言い寄られ横長レンズのサングラスの男、アルフォンス・トリオは半身分、腰を引いた。ポケットの中の何かが銀色に輝く。それはご自慢のウイスキーフラスコ。酒好きの彼は常に２つのウイスキーフラスコを持ち歩いていた。しかもお手製であるそれは、宇宙開発に使われる超合金スペースチタニウムで作ったという至高の一品。はっきり言ってそんな物に使うには勿体ない素材であるし、またそのフラスコ自体がアルフォンスに持たせるには勿体ないほど丁寧な細工が施された代物だ。
「だってアルがあんな事言わなきゃっ！」
「おバカ！　遅刻したんはおめぇだろ。当然だろうに」
「それはっ！」
　少年アーサーが必至に食い下がろうとするが、アルフォンスはにべもない。
「そそそ、そんな焦らないでくださいアーサーくん！　冗談ですったら！」
　メガネの奥の瞳を潤ませながら彼女、ユリカ・ラックスマンは２人の仲裁に入ろうとした。おっとりとして独特の優雅な立ち振る舞いを見せる彼女は、それ故に周囲の空気を読むことに関しては疎い。普段、際だった自己主張をしない彼女がたまに発する大ボケには、付き合いの長いアーサーたちでさえついて行けないことがある。
「ウソォ！　さっきのユリ姉ぇ本気だったもん！」
「だから本気の冗談でして…」
　まだまだお子様のアーサーにユリカの真意は掴(つか)めるはずもなく、言い争いはさらに泥沼化しようとしていた。
「まったく…。
　ハイハイ。３人ともそこまで。けしかけた私が悪かったよ」
　パンパンと二度、手を叩き合わせ止めに入ったのはベルティ・マークレビンソン。４人の中では最年長。成熟した大人の色香を漂わせる彼女だが、その美貌を武器にする事はせず、
「タダ飯食えたんだから、それで良いでしょうに」
　金に全力を傾ける守銭奴である。彼女の行動原理は常に金儲けを前提とし、必ず元を取ることが最重要視されるのだ。よってタダや無料といった言葉には滅法弱い。
「ベルティまでぇ…。しどい…」
　もはや怒りを通り越していじけ始めるアーサー。
　この仲間たちの傍若無人ぶりは今に始まったことではないのだ。
　自分よりも年上のクセにわがままで我を通し、引くことを知らない。自らの信念を変えない姿勢と捉えれば格好良いとは言えるだろう。打算的で現実を知れという周囲の大人たちよりはよほど頼りになるとアーサーは思っている。
　ただ、時たまこうした不条理な状況に追い込むのは勘弁して欲しい。なまじ全員が年上と言うだけで、ついアーサーは遠慮してしまい結果として丸め込まれてしまう事も多々あるからだ。
「まぁまぁ、３人とも。そんなにアーサーを追い込むな！　家出しちまうぞ」
　４人の座る予約席に低く明朗な声が届く。振り返る必要も改めて確認する必要もない。なぜなら彼は４人の仲間であり、上司であり、頼れるリーダーだからだ。
「遅刻したアーサーも悪いが、罰ゲームのやり過ぎには感心しないぞ」
　アーサーの頭上から轟く低音。冗談ではなく少年の視界を覆い隠しそうな２ｍに迫る巨躯。アーサーが立ち上がっても頭一つ半近くの身長差がある。圧倒的な迫力を示すように全身が筋肉に包まれ、顔の形まで威圧感たっぷりに角張っている。人の良さそうなその両眼がなければ、誰も彼に声を掛けようとは思わないだろう。
「そうなんだよ！　ユージス！　みんなで僕にたかって、ほとんどイジメだよう…」
　孤軍奮闘していたアーサーは、登場した味方に泣きついた。情けないと恥じるよりも前に、この大男には甘えさせてくれる何かがある。
　大男の名はユージス・レキシコン。アーサーたちと自分を含めた５人組の回収屋“チームグローブ”のリーダーである。
　既に両親を失っていたユージスは、形見であるこの店を弟と２人で何とか守っている。しかし先行きが不安な今の時勢では喫茶店の経営は苦しい。そこで何かの足しになればと、彼は副業で回収屋稼業にも手を出していたのだ。
“チームグローブ”はそんなユージスのために結成された回収屋だった。
「分かった分かった…。
　だそうだ、お前ら。いくらアーサーが可愛いからって、本人がこう言うまでやるんじゃないぞ」
「分かってるわよ…。
　ゴメンね、アーサー」
　そう言ってベルティはアーサーの頭を撫でた後、おもむろに彼を引き寄せ、その豊満な谷間に彼の顔を埋めさせる。
　少年の座っていたスツールがたまらず横へ飛び退いた。
「もがっ！　ふっ！」
「アーッ！！　いいなぁ！　アーサー！」
「…………」
　アルフォンスはなぜか自分も嬉しそうにアーサーをうらやましがり、ユリカはトマトのような顔でうつむき、恨めしそうな視線をユージスに向けている。
「おいおい、それじゃさっきとやってる事変わらんぞ」
　どこか冗談めいたユージスの口調。
「あら、それはごめんなさい」
「ぷはっ！」
　危うくその凶悪な柔らかさに窒息しそうだった。恐怖の谷間から解放されるやいなや、必至に空気をむさぼるアーサー。同時にベルティの肌から立ち上る妙に甘い香りも思いっきり吸い込んでしまい、酸欠の頭と相まって目の前がクラクラする。ようやく自分が座っていた席を見つけ腰掛けたが、彼の意識はまだ朦朧としていた。
「なぁ！　ベルティ！　オレもオレも！」
　アルフォンスは母親に甘えるような笑顔で乗りだし両手を差し出す。アーサーにあんな美味しい場面を見せつけられて、彼が黙っているはずがない。
「フ…」
　ベルティは冷笑を浮かべながら、アルフォンスの伸ばされた両腕をはたいた。
「テ！　何すんだよ！」
「甘えるんじゃないの。私はあんたのママじゃないでしょ」
「フン！」
　鼻息荒く、一息吐いて、彼はスツールへ元のように腰掛けた。
「ヤーイ！　叱られてやんの！　甘えん坊！」
　いつの間にか復活したアーサーがお返しとばかり、より近くなったアルフォンスをからかう。あと少し近寄れば立派な領地侵犯だ。彼に対してはどこまでも意地の悪いアーサーである。
「何をっ！」
「ふ、２人とも止めてください！　こんなところで！　お店にメーワクです！」
　ユリカがすかさず止めに入った。放っておけばどこまでもこの２人は言い争いを続けるだろう。
「まったく…。仲が良いんだか、悪いんだか」
「ホント、まったくね」
　ユージスの呆れ顔にベルティが同情する。彼女はこのチームをまとめる難しさをよく知っていた。単純でいて実はとてもナイーブな２人を、恐らく誰よりも理解しているのはこの大男だけだろう。自分にもユリカにも、あれだけ気を遣ってくれて、それでも自然体で居られる男。ユージスの器の大きさにベルティは一番の信頼を寄せていた。
「ハイ、ハイ、アーサーくんもアルさんもどうどうです。今日の命題はまだ終わってないんですから」
　まるで猛り狂った闘牛を抑えるように、ユリカは２人を落ち着かせる。アルフォンスの席を自分の方へ寄せ、ベルティにはアーサーの席を引いてもらい、２人の距離を広げた。
「ところでリーダー。今日は一体どういう…」
「ああ、すまないユリカ。すっかり忘れてたよ。
　アーサーもアルも、もう良いか」
　両隣りの２人を交互に見つつ、場がようやく収まったことを確認。彼は軽く咳払いしてから宣言するよう声高に言った。
「今日集まってもらったのは、皆に報告することがあるからだ」
　得意満面に、子供が自慢のおもちゃを披露する時のようなユージスの表情。アーサーがそれに惹き付けられるようキラキラと目を輝かせて、彼の次のセリフを待っている。
「報告ってわざわざ皆を集めて言わなくても、メールなりTELなりですむでしょう？　リーダー。
　顔だって見えるんだし」
　茶々を入れたのはアルフォンスだ。
　持ち前の喧嘩っ早さに加え、先ほどのアーサーとのやり取りで高まった興奮が収まっていない。
「「そういうことじゃ」ないでしょ。このバカチン」
　即座に同時にアルフォンスへツッコミを入れるユリカとベルティ。
「まぁアルの言うことも最もだが、大事なことは直接言いたい質でね。
　それと報告を兼ねて一席設けようと思ったから、集まってもらったんだ」
　ユージスの得意顔はまだ続いていた。それどころかセリフの最後の方になるとほとんど、神父が教えを説くような諭す口調へと変わっている。
　ベルティはいささか演説じみた口調になる彼のそんなクセがあまり好きではない。
「イッセキモウケル？」
「お祝いの飲み会するって事。分かった？　坊や」
　気を逸らそうとアーサーに用語の解説をするベルティ。
「何かおめでたいことでもあったのか？」
「それをこれから話していただくんですよ！　アル！」
　アルフォンスはアルフォンスで、再び茶々を入れ、今度はユリカにツッコミをくらう。
　アルフォンスとユージスの渋い顔がよく似ている。
「…ハァ。みんな、少しは人の話しを聞こうね」
　ユージスは改めて大きなため息をついた。これではいつまで経っても本題が進められない。
「大丈夫です！　ちゃんと聞いてますリーダー」
　すかさずユリカがフォローを入れる。この場で唯一の良心であろう。彼女の言葉に促されるまま、他の３人も改めてユージスへ向き直る。少年の瞳は相変わらず輝きを失っていない。
「エー、ゴホン。　それでは改めて。
　俺たちのチームグローブは結成されてもうすぐ１年になる。それを記念するように昨日の定時連絡で、バーコ社長から吉報が届いた」
「え？」
「リーダー、それって…」
「おお！」
「ウフフフ……」
　四者四様の反応。アーサー以外の者は何となくその内容を察したようだ。
　そもそも回収屋稼業を行うためには、政府から発行される許可証を取得することと、各回収屋を統括する管理団体、または企業へ登録することが、義務とされている。バーコ社長とはユージスが登録を行った回収屋管理会社、ウォーターサイド社の初代社長である。
　登録をすると、各回収屋は世界規模でＡ〜Ｆの６段階のランク付けが行われ、評価される。このランク付けは各回収屋の信頼度、収入に直結し、非常に重要視されているのだ。
　そして。
「我らチームグローブは、ウォーターサイド社の中でも数少ないＣランクに昇格が決まった！」
　そう、ユージスをリーダーとするチームグローブは、普通なら３年は掛かると言われるＣランクの回収屋へ、１年という異例のスピードで出世することができたのだ。
「ホント？　ユージス、それホント？」
「ウソでしょ？」
　大男のセリフが信じられないアーサーとユリカの２人はキョトンとした顔で疑問を反芻している。
「ウソなわけないだろ？　社長直々のメッセージなんだから」
　リーダーはもうこれ以上ないくらい得意な表情を浮かべ、胸を張ってみせた。
「ま、オレの成績なら当然だろうな！」
「これでまた収入が増えるわね♪」
　一方のアルフォンスとベルティは疑うことなく、ユージスの言葉を受け入れている。それどころか既にベルティの頭の中ではランクアップによって増える金額を計算しているようだ。
「これも皆の努力のお陰だ。
　そこで正式な辞令が下りる前祝いとして…」
「待った！！　そのセリフはちょっと待った！」
　上機嫌で話していたユージスの気分を逆撫でするよう、突如、誰かが割って入った。
「兄さん！　そんなことより店に戻ってよ！　まだまだ営業中なんだから！」
　幼く甲高い声。周りの注目を集めるには十分すぎるほどだ。大男の嬉々とした顔がその声でイタズラの見つかった子供のように、真っ青になる。彼の周囲にいるチームメイト、各テーブルにいたお客、黒尽くめの男、果ては通りを行き交う一部の通行人までが振り返り、何事かと動向を見守っている。
　ユージスが油の切れた首を回すとそこに立っていたのは、アーサーとほとんど変わらない背格好の少年。
　清潔そうな真っ白いシャツに、オレンジ色の縁取りのある同じく真っ白いエプロン。生成り色のズボンの裾は動きやすいよう、膝まで折り曲げてある。
　勝ち気そうな瞳と、腰に当てた両手が彼の性格をよく現していた。
　言うまでもなく、ユージスの弟である。
「タ、タクヤ…。スマン…。すぐ終わ」
「もう充ー分、時間は経ったよ！　立派な営業妨害！」
　そう言って彼、タクヤ・レキシコンは兄の向こう側にいる４人を睨みつけた。
「ハァ、分かったよ。
　じゃぁ、罪滅ぼしとしてみんなにも手伝ってもらうから。それで良いだろ？」
　融通が利かないなぁと言いたげに、ため息をついて兄は弟に詫びる。ユージスが最も苦手とし、頭が上がらないのがこのタクヤである。しかもここ１ヶ月ほどは反抗期に入ったらしく機嫌をとるのも一苦労。ちょっとしたことですぐにぷりぷり怒り出す弟に兄は疲れ切っていた。
「それなら文句ないけど！
　ほら、そこの腰巾着さんたち！　そうと決まったらこっち来て！」
　加えてこの口の悪さにはもうあきれ果てていた。
「な！」
「この！」
　生意気な少年の言い様に、アーサーとアルフォンスが思わず食って掛かろうとする。すかさずユージスが２人を制した。
「ちょ！　おいリーダー！」
「何で止めるの、ユージス！」
「まぁ、２人とも。ちょっと待てって」
　とは言ったものの２人の怒りはちょっとやそっとでは収まらないだろう。どこかへ発散させなければ。かといって弟と直接対決させたら、事態がますます悪化するのは目に見えている。さあ、どうする？
　ふと何を思ったのか、ユリカが２人に代わりゆっくりと火種の彼に歩み寄る。
　屈む。
　そして鼻先をつつく。
「コラ！　その言い回しは失礼でしょ？　せめてお兄さんの下僕（しもべ）くらい言ってあげないと」
　どっちもどっちだと思うのだが。なぜかタクヤは厳しい目つきのまま黙りこみ何も言わない。
「お兄さんに構ってもらえなくて寂しいのは分かるけど、八つ当たりはよくないぞ」
　もう一度、生意気そうな鼻先をちょんと押してやる。
　そうすると、タクヤの顔はみるみる赤くなって。
「そんなんじゃない！」
　一言、捨てゼリフを吐いて店内へ戻ってしまった。彼はなぜか、このユリカにだけは頭が上がらなかった。
　場の雰囲気と事情を察したアルフォンスはいつの間にか大人しくなり、バツの悪い顔で一言、
「ちぇ！」
　と言った。
　アーサーはいきなり現れ、宣戦布告をしていきなり去っていった生意気な少年が理解できず、頭の上を３つほど？マークが飛んでいる。
「すまない、ユリカ。いつも助けてもらって」
　大男は弟の非礼を詫び彼女に深々と頭を下げた。
「いいえ。もう慣れてますから。
　それに何か可愛いじゃないですか。タクヤくんのああいうトコ」
　目を細めるユリカ。見つめる店のカウンターの内側には、影になって分からないが、多分、赤いままのタクヤが皿を洗っている。
「そう言ってもらえると嬉しいな。
　ユリカはあいつの姉みたいだよ。俺よりもよっぽどあいつに詳しくて…」
　彼女が弟を見つめるような瞳で彼もまた彼女を見ていた。
「い、いえ、そんな…」
　茹で蛸の方がマシと思えるほど、ユリカは真っ赤になり、うつむいてしまった。
「たく…」
　アルフォンスが一言、愚痴をこぼす。
「…………」
　ベルティは少し困ったような表情で、その様子を見ていた。
「？？？」
　もう１人の少年は、ポカンとそれを傍観するしかなかった。
「さ！　皆手伝ってくれ。昼の片付けと夕方に向けての準備だ」
　ようやっと気持ちを切り替え、ユージスが皆に呼びかけた。
「へいへい」
「バイト代は出るのかしら？」
「ベルティさん、それはちょっと…」
　３人は気乗りしなさそうに、先頭を切るユージスについて店内へ向かう。アーサーだけが未だ状況が飲み込めず、その場で固まっていた。
「おい！　アーサー！」
　アルフォンスの呼びかけでアーサーはようやく我に返り、皆の後を追いかける。
　頭の中の疑問はまだ晴れていない。さっきの険悪な雰囲気が消えたことは分かるのだが、生意気なあの少年が、素直に店内へ戻った理由が判然とせず、モヤモヤしている。
　するとふいに店内へ向かっていた足が止まった。
「？」
　頭上に何かの気配を感じる。
　見上げた瞬間、彼の頭上は黒く陰っていた。
　それが何かを理解した時には手遅れで、アーサーは地面に激しく倒れ込んでいた。
　少年の視界を奪った靴の裏らしき物体。薄れ行く意識の中で、その持ち主をアーサーは確かに理解していた。
　ハチミツ色の髪をなびかせて、今朝出会ったばかりの少女の顔がそこにあった。