EARTHLING

２ 　
　アーサーを乗せたエアボードは高速で住宅街を駆け抜け、州の中心都市へ通じる幹線路に入る。エアドライブが突っ走る高速道路を横目に見ながら、行き止まりの指示表記がある横道へと、アーサーは進路を取った。
　少し進むと道路の先に太陽の光を受けて輝く海が見え始め、路面はその海へ沈み込むように下っていく。先ほどまで草原に囲まれていた道路は左手側一面に海が広がり、右手側には真っ逆さまに海へ突き刺さる崖が迫っていた。
　この道はかつて戦時中に物資の輸送路として当時の政府が造った物である。だが、戦争終結後の混乱期に整備が行き届かず、荒れ果ててしまった。さらに現在の高速道路が建設された事で、この道はすっかり使われなくなり、現地球界共和政府が発行している正式な道路地図にこのルートは載っていない。記録から抹消された道なのである。
　アーサーは偶然この道を発見。自らの足を使って調べ、そのルートを“見捨てられた道（スクラップド・ルート）”として自分の地図に登録した。ユージスが言っていた通り安全性では政府公認の道路に比べＤランク以下もしれないが、近道として利用するにはＡランク級の道路なのである。
「フー！　やっぱ気持ちいいな、こっちの道のが！」
「私にはそういった感覚はありませんが、気温、湿度、風速、風量その他の値は快適であると示していますぞ、マスター」
　アーサーにとって何より大事なのは、その道の景色と肌に直接感じられる気持ちよさである。
「まったく。お前は堅いなぁ。もっと心で感じろよこの風を」
「そう言われましても、私に心は存在しませんし」
　ユージスは不満そうに両手をあげて抗議するが、アーサーは頬を叩き、体温をさらっていく風に夢中で聞く耳を持たない。
「政府のお偉方ってのは何考えてんだか。危険なだけで封鎖するなんて」
「マスター。危険だから封鎖したのですぞ。政府はこの道を」
「それを言っちゃぁ元も子もないだろ。
　僕が言いたいのは…」
「“危険を上回る楽しみがあればそれでよし”ですか」
「ぐ……」
　ユージスがすかさず突っ込む。毎度の事ですっかり慣れっこになっていた。
「私には分かりません。マスターのそういう“感覚”というものが。安全が何よりも優先だと思うのですが」
「あー。分かった分かった。
　それよりそろそろ来るぞ」
　アーサーは早々に話しを切り替えた。毎回毎回、同じような説教だか、質問だか分からない話しをされて、少年はすっかりその対処法を身につけてしまったのだ。
「了解。ナビモードに入ります。
　ファーストポイントより測定スタート。前方170mに第1ポイント接近」
　口調がいつもの軽い調子から無機質なものに変わるユージス。彼のナビゲーターとしての機能が発動したのである。
「目標ロック。ジャンプポイントまで後20秒」
　エアボードの前方、ちょうど崖がうねるようにカーブしている先の道路がポッカリと抜け落ち口を開けている。
「15秒前。10秒前よりカウントダウンを開始します。カウント終了と同時にスロットル全開、飛び上がって下さい」
　その穴の端から10mほど離れた所に再び道が見えている。これがこの道の特徴、破棄された理由。
「10、9、8、7、6……」
　元々、地盤の弱かった崖へ無理に橋脚を造ったものだから、ちょっとした台風でもすぐに崖崩れを起こし、道路が寸断されてしまうのである。
「5、4、3、2……」
　そうして出来た裂け目がいくつも点在していた。
「1、0！」
「ヤーーッ！」
　雄叫び一発。
　アーサーは体勢を低くしてから、一気にスロットルを引き絞った。
　道路の終着点から、飛ぶ鳥を落とす勢いで飛び出したエアボードはきれいな放物線を描いて空中を滑空していく。スローモーションさながら、アーサーの栗色の髪が鮮やかになびき、10分にも20分にも思える一瞬の跳躍。彼のこれ以上ない無邪気な笑顔が輝きの残像を残しつつ、対岸の始発点へ飛んでいった。
　そして静かな着地。
　わずかにエアボードの後部を道路へこすりつけてしまったが、後は成功したジャンプであった。
　すかさず彼はガッツポーズを作る。
「よし、今日も絶好調！　イケるイケる！」
「最後尾下部、接触。損害きわめて軽微」
　ユージスがツッコミにも似た報告を淡々と告げた。
「…コラ、ユージス。そんな気分が削がれるようなこと言うな！」
　アーサーもユージスにツッコミ返す。
「マスター。そう言われましてもこれが私の義務でして…」
　ユージスは自分の責務に対し忠実に従っただけで、そこへツッコミを入れるのは酷というものだろう。
「…それじゃ僕が良いと言うまで損害報告はディスプレイ表記だけにしてくれ」
　済まなそうにアーサーは言ったつもりだったが、端から見れば痛い所を突かれた子供が拗ねて言ったようにしか聞こえない。
　実際、彼はまだ子供なのだが。
「了解。設定を切り替えましたぞ、マスター」
　エアボードの損害報告は開発元のスオッシュ社が義務として全てのＣＭＣに課していた。故にその機能を解除することは不可能である。アーサーにしてみればその機能のおかげでエアボードの整備がし易くなり助かっている事実がある。
「よし、もうすぐ次の穴だ！　頼むぞユージス！」
「了解しました。ナビモードに入ります」
　再びユージスの口調が無機質な機械の声に変わる。
　何のかんのと言いながらも、アーサーはユージスを信頼している。エアボードの整備を一緒に手伝ってくれ、その性能を100％引き出してくれる。走行時には彼の適切なアドバイスのおかげで、今まで事故を起こした事はない。
　何よりエアボード以外のことでも話しを聞き、相談に乗ってくれるのがアーサーにとっては嬉しかった。保護者とも学校の友達とも違う親しい存在。言うなればパートナーと呼べるかも知れない存在である。
「10秒前。9、8、7、6、5…」
　ユージスの機械的なカウントダウンは裂け目の大きさを強調する。
　少年の目前に迫る奈落への入り口。
「4、3、2、1、0！」
「ヤーーッ！」
　再び宙を舞う無邪気な笑顔。アーサーはこの道程を目一杯楽しんでいた。
　そして――。
　
　連続する裂け目の最後、４つ目を飛び越え、アーサーは高らかに叫び右の拳を突き上げた。
「ヤーーッ！　ラストポイントクリアーッ！！
　ユージス、今のタイムは？」
「やりましたぞ！　マスター！　記録更新です！」
　嬉々として質問する少年にユージスもつられて興奮気味に切り返した。
　グラスゴーグル右上に表記されたタイムは3分21秒。その文字の下にスクラップドルート・タイムレコードと書かれた表が表示される。歴代5位までの記録が並び、各々の数字の横にはプレーヤー名が示されている。先ほどまで歴代1位を守っていたタイムは3分25秒、プレーヤー名はアルフォンスと書かれている。
　このタイムレコードはこの道、スクラップドルートを知る者たちが集まり取り決めたものである。誰かが挑戦するたび、その記録は配信を希望する全員の元へ送られ、レコード表のデータが自動更新される仕組みになっている。
「ヨッシャーッ！　これでアルに自慢できるぜっ！　ヤーーッ！」
　アーサーはもう一度、拳を空に向かって突き上げた。あの酒と笑いをこよなく愛するアルの顔が悔しさに歪む様子を想像すると、おかしくて仕方がない。
「マスター。そんなことを言ってるとまた恨まれますぞ」
　すかさずユージスが少年をとがめるが、新記録に浮かれる彼が聞くはずもなく。
「かまうもんか。悔しかったら今のを抜いて見ろってんだ」
「ハァーー……」
　処置無しといった様子でユージスは“お手上げ”のポーズを取り大きなため息をついた。
「それより…」
　グラスゴーグルの画面右下に表示されている時計を見るアーサー。
　時刻は既に8時50分を指していた。
　時間がない、新記録が出たことを喜んでいる場合じゃない、新記録が出せても集合に遅れたんじゃ意味がない、アルに自慢しても遅刻を理由に切り返されてそれで終わりだ、急げ。
　期せずしてスクラップドルートのタイムアタックになってしまったことをアーサーは後悔する。
「ユージス！　GPS周りを除いて全通信シャットダウン！」
　早急に頭の中を切り替え高速モードの準備。不名誉な記録更新は何としても阻止しなければ。
「了解。ナビゲート用通信システムを除き、全通信シャットダウン。これで外から邪魔されることはありませんぞ、マスター」
「よし！　飛ばすぞ！　遅刻してたまるか！」
　体勢を低くする。両腕を伸ばし、さらに右足を後ろへ伸ばして足下を固め踏ん張る。少しでも空気抵抗を減らすための姿勢である。
　目的地まではほぼ一本道。この先の緩やかなカーブと、街中へ出てからの信号にさえ気をつければかなりのスピードが出せる。ただし相応に注意を払わなければ、事故を起こす可能性は高い。
　自分の信頼と記録の自慢を掛けてアーサーが挑む。
「保護膜展開！」
「了解、保護膜展開、エアーコントロール」
　エアボードとハンドルを繋げていたポールの左右両側。縦一直線に等間隔で並ぶ小さな穴がいくつも開いていく。そこから細い針金のような物がアーサーを包み込むように延びる。
　次の瞬間その針金と針金の間に薄い透明な膜が張られた。膜の外見は蝉やトンボの羽根と酷似している。アーサーが保護膜と呼ぶそれは操縦者を風圧から守ると同時に、空気抵抗を低減、コントロールする役目を担っているのだ。
　これは苦心の末、作り上げた少年の自信作である。唯一の欠点は衝撃に弱く、先ほどのジャンプ程度ならすぐに破れてしまう所だろうか。
「ユージス、信号の間隔を計ってくれ。ルート構築を頼む」
「お任せ下さい、マスター」
　遙か先、信号機の表示が切り替わるタイミングを衛星経由でユージスが計る。もし、信号機の手前へ達した時点でその表示が“停車”を示していたら、せっかく持ち上げた速度は無駄になってしまう。それだけは何としても避けたい。
　最悪は直前での速度調整、時間稼ぎだがそれも出来るなら最小限に抑えたい。
「ルート構築終了しました。マスター、いつでもどうぞ」
　ユージスのセリフと合わせてグラスゴーグル内に見取り図が表示される。カーブなどポイント毎のコースの取り方、進入時・脱出時の予想到達速度が細かく刻まれている。準備は整った。
「リミッター解除。パスワード、スパイラルストリーム！」
「高速ナビモードに入ります。
　パスワード承認。リミッター解除します。加速開始予定位置まで残り14秒」
　グラスゴーグル内、画面右下にポップアップウィンドウが現れ、自己主張するように点滅する。枠内で刻々と数字が減っていく。
「10秒前、9、8、7、6…」
（今日は新記録が出せた。まだまだイケる！）
　鼓動の高まりに合わせて少年の脳裏に連想されるのは祭りの太鼓。鼓動が刻むリズムと太鼓を打ち鳴らすリズムが無意識下で奇妙な一致を見せた。そしてその祭りの情景には浴衣姿の見知らぬ女の子がいる。
　あれは誰だろう…。
　疑問を挟む隙もなくカウントが迫ってきた。
「5、4、3、2、1、0！」
「アタック！！」
　開口一番、叫び声を待ってエアボードは一気に加速した。
　耳元で風の悲鳴が聞こえる。
　遠くの雲はゆっくり自分を追い越すように前へ移動している。
　一つ一つ見えていた崖の石ころは地層になって後ろへ流れていく。
　道幅がやけに狭くなったみたいだ。
　ポップアップウィンドウの数字は次のポイントまでの残り時間と、加速スタート地点からの経過時間に切り替わっている。
「次のカーブポイントまで残り26秒」
　風の音に混じり、そんなユージスの声が聞こえた。
　メインウィンドウが切り替わり、カーブポイント部分の地図が拡大される。コース取りと進入時、脱出時の予定速度が点滅し、左上にアーサー自身の傾き具合を表す新しいウィンドウが展開された。
　間もなくだ。
　アーサーの目がガードレールの白い姿を捉えた。
　次の瞬間、身体を右へ傾ける。画面左上のウィンドウに映るガイドの人型と自分自身を示す人型が重なるように。
　足下に白い帯が流れていく。
　右を見ればロッククライミングの岩壁のように迫る道路。
　すかさずユージスが制御下にあるノズルを逆噴射。ブレーキをほんの少し利かせ速度を調整する。ガードレールの外へ飛び出さず、加速も殺さないギリギリのラインを狙う。
　きっかり3秒。
　高速で道路に寝転がるスリルを味わった後、アーサーは体を起こす。
　目の前が一気に開けた。
　険しい崖だった海岸が徐々に砂浜へと形を変えている。その先に都市のビル群が確認できた。
　一拍遅れてグラスゴーグル内の指示表記が点滅する。
　予定速度より5km/h近くオーバーしているのだ。
　このとき、ユージスは少年の指示を無視して、警告音を発するべきだったろう。なぜならアーサーはカーブが開けた先の光景に見入ってしまっていたからだ。
「…………」
　高速モードでの走行中にも関わらず全ての画面内表記を無視し、少年は突然目の前に現れた虹にすっかり心を奪われていた。
　崖の下、小さな入り江になった海岸の砂浜の上から沖へ向かって橋を架ける不思議な虹。
　波飛沫よりも崖よりも高く、そしてクッキリと色つきの透明フィルムを貼り合わせたような虹。
　それはアーサーでなく、誰でもが見入ってしまうほど美しく鮮明な虹。
　もしかすると、その虹は美しい歌声で船乗りを惑わせて誘い込み船を沈めてしまうと言うギリシア神話のセイレーンと同じだったのかも知れない。
　アーサーは虹に夢中で操縦を忘れ、目前に次のガードレールが迫っている事も気付かない。
「マスターッ！！」
「ッ！！」
　彼が周囲の状況を把握した時には既に遅く、目と鼻の先に白い壁が迫る。避けようにも止まろうにも不可能な距離と速度だった。
　ぶつかるか、ジャンプしてガードレールを越えるか。しかしその先に道はなく30m下の砂浜まで真っ逆さまだろう。
　考えるまでもない。
「マス「ヤーーーーッ！！」」
　遅れてきたユージスの警告も聞かず、見事アーサーはガードレールを飛び越え、空中にその身を躍らせた。
　空の向こう側にある虹を目指して。
　そして彼の狙い通り、放物線を描いたエアボードの軌道は宝が眠ると噂される虹のふもとを軸線上に捉えていた。