少年の夏 ： Boy Meets Girl After

　火照った頬に心地良い。
　微かに濡れた髪と戯れる、そよ風。
　少年は傍らの少女がそうするように片手を空へ突き上げ、その一部を掴み取るような動きを見せる。

　夏の色が濃くなった青空は、春のそれよりももっと高くなったような気がする。

　それは隣りで寝転ぶ、白服の彼女の言葉であったけれど、なるほど確かにそうかもしれないと、少年はもう一度指を広げ青空を掴むよう握ってみる。
　片手を後ろへ突っ張って両脚を投げ出している自分の目線と、すっかり草むらに背中を預けてしまっている彼女の目線とは多少の距離の違いはあれど。
　あのどこまでも高くそびえたった青い宝物は春の頃よりも、もっともっと手の届かない大きな物になったような気がしてくる。

　サァ――ッと再び風が凪がれた。
　草むらの青葉と同じように、彼女のハチミツ色の髪が揺れる。

　肩に乗っている時にいつも感じた薫りが、残り香のように鼻腔を掠めたような気がした。
「あの娘、どうしてるかな……」
　不意に彼女がポツリと漏らした。
　聞かなくてもそれが誰の事かはすぐ分かる。彼女が全力を出して戦ったもうもう１人の、黒い服の魔導師の少女の事。
　昨日の通信では、裁判が予想よりも長引いてると言ってたけど。
「……寂しいの？　やっぱり、会えない事が」
　彼女はちょっと驚いた表情を見せて、それからいつものように微笑んで。
「うん…。やっとお友達に……。
　なれたばかりだったから」
　また青空を見上げた瞳には、きっとその少女の顔が見えているのだろう。

　三度、そよ風が舞い上がる。
　小さく踊る彼女の前髪。それが縁取っていた柔らかそうで幼さの残る頬。対照的に真っ直ぐ青空を見つめる瞳には、いつもと違う憂いが秘められていて。
　少年は嫉妬してしまった。彼女は僕のために、僕を思ってそんな顔をしてくれるのだろうか、と。
「大丈夫。裁判は長引いているみたいだけど、順調にいってるって言ってたから」
　彼女は一言、ありがとうと言ってまた青空を見つめている。

　思わずついてしまった嘘を少年はちょっと後悔した。
　アイツの事を信用していないわけではないけれど、彼女とその使い魔に対して良からぬ噂が立てられている事は知っている。裁判自体も多分、アイツが言うほど順調じゃなくて…。
　チラリと彼女の横顔を覗き見る。
　瞳の奥に憂いを隠したまま、けれど恐ろしいほど透き通った空の青さを吸い込んで見つめ返してくる。
　彼女の瞳を。

（え？）

「どうしたの？」
「あ！　ごめん！」
　思わず顔を背けてしまった。どうやら彼は自分で思うよりもジッと彼女の顔に魅入ってしまっていたようだ。
　顔が熱い、鼓動が早い、何か彼女の唇の形とか、下着姿とか浮かんできて、ああ！　もう！

　――クスッと小さく笑い声が聞こえた気がした。
「ありがとう。心配してくれて」
　風に乗って彼女の鈴の音のような声が鼓膜を震わせた。
「どう……、致しまして……」
　後ろめたさで思わず敬語になってしまったけど、変に思われなかっただろうか。
　見れば彼女は体勢を崩さず、顔だけを傾けて微笑んでいる。
「…………その、寂しい時は甘えてもいいから……」
　少年はそこまで言って口を噤み、言葉を飲み込む。
（僕は何を言っているんだろう？　彼女にとって僕は…）
　少女も頬を染めて固まっているようだ。大きな瞳が更に大きくなっている。
「……うん、それじゃ…」
　白服の少女はそう唇の端に零して、やおら起き上がり、そのまま。
「！！！」
　少年の伸ばされた太股の上に、自分の頭を置いた。
「にゃはは……」
　見下ろせばすぐそこに彼女の顔がある。
「き、君はっ！？」
「ひ・ざ・ま・く・ら♪」
　妙なアクセントを付けて、彼女は悪戯っ子のように微笑む。大方、誰かに入れ知恵をされたんだろうけど。
「…………君は僕の事をどう思ってるの？」
　少年がお返しのように聞いてみると、彼女は事も無げに答えた。
「大切な友達で、魔法の先生」
　“大切な”と“友達”という言葉が相反して胸に刺さる。
「じゃぁ、あの娘のことは？」
　自分でも意地悪な質問と思いつつ、彼は止めることが出来ない。
「えっと最近出来た大切な友達で、同じ魔法少女？」
　彼女と自分が同レベルなのは、喜んで良いのか悲しんで良いのか。
「それからんーと、一緒にいると落ち着けるって言うのかな。心がスーッと安らかになる感じなんだ」
　やっぱり君はあの娘のことを…。
「僕だとそうはならないんだよね？」
　何かエラく自虐的なセリフのような。
　彼は苦笑する。
「うーんとね、同じように安心できるんだけど、胸の奥がポカポカ温かくなってくるんだ。だからこうやって甘えられるのは…」
　彼女はそこまで言ってから、頬を染め俯いてしまった。

　これはどう受け止めればいいのだろうか？

　少年も彼女と同じように頬を赤く染め、その可愛らしい顔を見つめている。

　再び周囲を舞うそよ風。
　火照った頬に心地良い。
　けれどそれはもう、魔法の練習で高まった熱ではなくて。
　少年は少女の横顔を見つめたまま。
　少女は少年の両膝に頭を預けたまま。

　少しの間、時を置いて。
　少年は吸い寄せられるよう、少女の頬に指を載せた。

　それから。
　そっとその指で、少女のハチミツ色の髪を梳き解す。
　時折舞うそよ風を、その間で一緒に遊ばせながら。

　いつのまにか。
　少女は睡魔に誘われるまま、静かな寝息を立てていた。
「…………甘えたくなったら、いつでも僕の膝を貸すよ」
　そう言って少年は、眠り姫となった少女の頬にそっとキスを落とした。
　２人の頭上には夏の色が濃くなった青空が、どこまでも広がっていた。

　もうすぐ暑い夏がやってくる――。