すべてはあなたのために:ALL FOR YOU

TWINKLE STAFF Fragment 009

「…模擬戦はここまで。
 今日は2人とも撃墜されて終了……」
 そして。
 桜色の魔力光がティアナに襲いかかった。

 薄氷のように危うく張り詰めた空気。
 スバルは憤怒の形相を顔に張り付け、なのはを睨み付けている。目尻に涙を浮かべたその視線は動かない。
 なのはも視線を動かそうとせず、じっとスバルを見据えている。無表情なその顔がより怖さを助長する。
 徐々に重くなっていく空気。
 エリオとキャロの2人は目の前の状況が信じられず、飲み込めず、呆然と眺めていることしかできない。
 フェイトでさえ声を掛ける事を躊躇(ためら)う空気。白いバリアジャケットを着た彼女の、心の内に秘めた感情が純粋に新人たちへ対する叱責の念だけなら、そのような事はなかっただろう。それはヴィータにとっても同じ事。
 なのはを昔からよく知る2人には彼女の背中から漏れ出た想いが確かに見えていた。それは憤りと言うより寂しさや悔しさに近いモノ。付き合いの長い2人でも数えるほどしか見た事のない彼女の黒いオーラ。
「おいスバル!」
 硬直した時間を動かしたのはスターズの副隊長だった。
 未だ鋭い目つきでなのはを睨み付けていたスバルへ呼びかける。
「ティアナを医務室へ!」
「ハ! ハイ!」
 ヴィータに言われスバルはなのはから無理矢理視線を外し、ティアナを背負う。全体重を預けてくる気絶したままの相棒。抗議の声を上げるより今はこの温もりを介抱する事が先決だ。彼女は他の者に一瞥もくれることなく、一目散に医務室へ向かった。
 その背中を追う無表情の白服の教導官。その瞳は完全に感情が抜け落ちて。右手の指先からはぽとり、ぽとりと鮮血が滴っている。

 やがてスバルのウイングロードは霧散、なのははフワリと力なく空中に浮き上がった。俯き加減のままライトニング隊やヴィータの居る屋上へ降り立つ。幾分、硬さは取れたものの、黒い気配は変わっていない。
「なのは……」
 フェイトが恐る恐る声を掛ける。彼女が恐いというわけではない。かつて味わった事のある漠然とした不安が感じられるのだ。今の彼女からは。
「…………」
「……おい!」
 反応を返さないなのはに対してしびれを切らせたヴィータが呼びかける。
「…ん。うん。大丈夫だよ」
 顔を上げ、親友2人へ笑顔を向ける。だが無理矢理貼り付けたようなその表情は、かえって痛々しさを感じてしまう。はっきり言って全然大丈夫そうに見えない。
「次、ライトニング、見るから……」
 絞り出すように言い、彼女が新人2人へ向き直る。
 エリオとキャロは何も言えず、息を呑んだ。笑っていない笑顔とはまさに今、目の前の彼女の表情を言うのだろう。
「なのは!」
「バカヤロウ!」
 痛々しくてもう見ていられない。フェイトとヴィータが同時に声を上げた。
 一瞬、たじろぐフェイト。
 ヴィータは迷わず続けた。
「指導する立場のお前が無理してどうするんだよ! それじゃティアナを叱った意味がないだろう!」
 燃えるような赤髪の小さな副隊長は、彼女を真っ直ぐに見上げてそう言い放った。
「ヴィータちゃん…」
 なのはの顔がわずかに強張る。小さな友人はそれを見逃さない。
「大したことないんだったら、とっととシャマルのとこ行ってそれの手当をしてもらって来い!」
 指から滴る鮮血を顎で指し示す。
「そうだよ。ヴィータの言う通りだよ。なのは」
 フェイトも一歩前へ、心配そうに歩み寄る。鮮血のその色はどうにもあの悪夢を思い起こさせて敵わない。
「…………」
 なのはは自分の右手を見る。
「…ったく。
 フェイト隊長。後、頼んでいいか?」
「う、うん」
 ヴィータは強引に押し切る形で、フェイトにこの場を任せ、自分は素早くなのはの左手を取る。引っ張る。
「ヴィータちゃん!?」
「スターズ隊長高町なのはは負傷! 治療のため一時、教導指揮をライトニング隊長フェイトに引き継ぐ! アタシは付き添いだ!」
 ヴィータは背中越しにそれだけを素早く告げ、隊舎に向けてなのはを引っ張っていった。
「了解、ヴィータ副隊長」
 ライトニングの隊長は逞しい小さな背中にそれだけを返した。
(ありがとう、ヴィータ……)
 フェイトは心の中でそう付け加える。自分とはまた違う形で彼女を見守ってくれる小さき騎士。同じなのはを想う者として、その素肌を知る者として、フェイトはヴィータに確かな信頼を寄せていた。
(今日はこれ以上なのはに負担を掛けないように……)
 胸の内で拳を握り、ライトニングの隊長は新人2人に向き直った。
 まずは今起こった事のフォローからだ。

「ヴィータちゃん! 私は大丈夫だから!」
 なのはは自分の手を離そうとしないヴィータに呼び掛けるが、彼女は聞く耳を持たない。なのはを引っ張り、ずんずん歩いていく。
 ヴィータには分かっている。こうでもしなければなのはの性格から言って、あの場を動く事はなかっただろう。
 その裏返しなのか。今もずっと後ろからかけられている声には、本人は気付かないだろうけれど、少なからず安堵のような響きが交じる。普段の彼女ならヴィータを引き留める事も、繋いでいるその手を振り払う事も出来るのに、彼女はそうしようとしない。
 それが意味する事はつまり……。
 ようやく隊舎入口のドアをくぐった時。
「ヴィータちゃん!」
 なのはは少し棘のある声で呼び掛けた。
「うるせぇ! こういう時のお前の“大丈夫”は信用できないんだよ!」
 ヴィータも思わず声を荒げる。
 “あの時だって”という言葉はかろうじて飲み込んだ。なのはが過剰な屈託(くつたく)を嫌がる事はこの小さな友人が誰よりもよく知っている。
「!! …………ゴメン」
 瞳を見開き、彼女は小さく小さく詫びる。それが何に対する謝罪かは判然としないが、その言葉はヴィータの考えていた事を肯定したも同じ。
 ヴィータは隊舎入口のホールで足を止めた。
 繋いだ手は離れないまま、離さないまま背後の気高きエース・オブ・エースの姿を振り返る。目に飛び込んでくる、赤く、生命の色に染まった右手の指先。
(本当にこいつは、どれほど不器用なんだ……)
 いつも真っ直ぐに、みんなの期待に応えて。時にはたった1人で全てを背負い込んで。
「そう思うなら素直にシャマルの所へ…」
「でも…。 ティアナ達が、気にするから…」
 本当に呆れるほど不器用で真っ直ぐな奴だ。とヴィータはもう一度、心の中で呟く。
 ゆっくり見上げた彼女の表情は赤髪の少女の心をドキリとさせる。視線が、固まる。
(……………………カワイイ)
 不覚にもヴィータはそう思ってしまった。不謹慎な場面である事は重々承知していても、今のはまさに不意打ちだったから。
 そこにあったのは、なのはが多分、新人達の前や部隊にいる間は表に出す事のない儚げな表情、素顔の彼女。
 いつも地平線の先を見るように前を見据えていた瞳が陰っている。まるで親に叱られた子供のように弱々しく、保護欲をそそられる容貌(かお)。ヴィータの心臓をキュッと締め付けるほどのそれは、不意にロウソクの炎が揺らめくようなゆったりとした勢いで、もう二度と口には出さないと誓った想いを甦らせた。
 ほんの数回だけ、彼女と過ごした甘い夜の思い出と、甘酸っぱい気持ちの回生。
 あの二度と思い出したくない光景と、一生忘れられない気持ちが対になっているという矛盾。その痛み、歯がゆさ。
 ――もしかするとアタシもこいつと同じくらい不器用なんじゃないか。
 ヴィータは声を出さず苦笑する。
「分かったよ。
 じゃ、そこで治療してやるから座って待ってろ」
 赤髪の少女は隅の目立たない長椅子を示した。それから返事を待たず大急ぎで救急箱を取ってくる。
 幸いにして新人達と鉢合わせになる事はなかった。その辺りはシャマルがしっかりと気を利かせてくれたらしい。

 戻ったヴィータは有無を言わさずなのはの傷の治療を始める。
「ゴメンね。ヴィータちゃん。ヘンな心配させちゃったみたいで」
 なのはが微笑む。謝罪と、気遣いと、そして感謝が入り交じった笑顔。
「別に。
 ただアタシはお前が怪我したのを放っておけなかっただけだ」
 ヴィータはぶっきらぼうに答える。半分は本音、半分は嘘。本当は怪我をする所も見たくなかったし、させたくもなかった。
 かつては自分と大して変わらなかった手が、今はずっと大きくなって。けれどそこに宿る強さと優しさは変わっていなくて。
「お前の方こそ。大丈夫なのか?」
 ヴィータは“あの事故”を反芻する。
 命の赤によって染め上げられたはずの雪白の大地が、やけに色褪せて見えた“あの時”の想い……。
 こいつはたくさんのモノを守ろうとして実際に守れていたけれど、それは自分を省みない無謀との引き替えだったんだ。いつも真っ直ぐ前だけを見据えて弱音なんか絶対吐かなかったから、そばにいたアタシも気づけなかった。
 皆がそれぞれ自分の道を歩み始めれば、誰もこいつをの背中を守ってやれないのに。
 それはアタシにしかできなかったのに……。
「うん、今ヴィータちゃんが手当てしてくれ…」
「そっちじゃねぇよ…」
 ヴィータ自身が自分でも驚くほど冷たく低い声。
「身体の傷はまだ良い。こうやって目に見えるからな。
 けど…」
 ヴィータはジッと向かい合ったなのはの瞳を覗き込む。
 真摯な赤が青い宝玉を射抜く。
 ――アタシは騎士としてかつて一度、誓ったんだ。お前を絶対守るって。例え、はやての騎士でなくなったとしても。
「心の傷は目に見えないから、危ねぇんだ。その大きさも深さも見えねぇ。特効薬もねぇ」
 なのははふと視線を落とした。
「ヴィータちゃんには敵わないなぁ。フェイトちゃんと同じくらい」
 ヴィータの心臓が大きく跳ねる。
 それは愛しさと痛み、両方の意味で。
 なのはのその言葉は、かつての誓いがしっかりと守られている事の証明。同時に最高のパートナーと比べられる事の疼痛(とうつう)。
 今、改めて思う。こいつのそばで最も大きな支えになっているのは、やはりあの金髪の少女だと。2人の間に入り込む余地なんて多分もうない。そして、かつては胸が押し潰されそうだったはずのその事実を理解しても、ヴィータの心が大きく揺らぐ事はなかった。
 時は無情なほど人の心を変えていく。
 そして人は変わっていかなければいけない。
 限られた命を精一杯、生きるために。
 ヴィータは自身の心に花開いたその実感と合わせて、嬉しさを噛みしめる。“人”として、少なからず彼女を支えられている事に。
「全く。こういう事にあんま気を配れないようなら、またフェイトが心配するぞ、物凄ーく」
「……にゃはは。それは困るな」
 乾いた笑いを浮かべるなのは。
 その裏に見え隠れする杞憂。彼女の顔はすぐまた陰り、ため息をつかせる。
「……ティアナは私の考えを理解してくれてると思ったんだけど……」
 力なく告げる口調に交じる迷い、悔しさ。
「…………」
 なんだろう。今の彼女を見ていると、やたらに胸がざわめく。
 ヴィータにはそんな彼女が堪らなく愛おしく思えてならない。あのなのはがちょっぴりだけど自分に甘えてくれているからか。
 胸中に去来する想いを必至に押さえつけ、ヴィータは平静を装い、告げた。
「お前にも昔あっただろ? 強くなりたくても強くなれなかった、もどかしい時期が。
 守りたいモノを全て守れるほど強くなかった時期が」
 なのはと同じように教導隊に入り、同じ部隊で学んでいたヴィータはずっと見ていた。入隊したての頃の、理想と現実のギャップに苦しんでいた白服の幼い少女の事を。
「……うん」
 なのはは頷く。
「なら分かるはずだ。あいつらの気持ちが。
 それを分かった上でお前が伝えたい事があるんなら、理解できるまで教えてやれ。
 迷わず1つ1つ教えてやれ。
 強くなる事の意味を。守りたいモノを守る事の大切さを。
 ……………………“守り続ける事”の大切さを」
 一気にそれだけを告げ、ヴィータは気恥ずかしくなったのか視線を落とした。途中だった包帯巻きを再開する。
「…………ヴィータちゃん」
 なのははヴィータの励ましを素直に受け入れ、微笑む。彼女の言い回しはどことなく故郷の、ある少女の面影を懐かしさと共に思い起こさせた。
(……うん。そうだよね。
 守りたいモノを守る事の大切さと、守り続ける事の大切さ)
 なのはにとってそれは、この世界へ飛び込んだ時から今も変わっていない、大事な事。そして何よりも教えたい事。伝えたい事。
 それは簡単じゃないけれど、とても単純な事ではある。
 分かり合えるまで丁寧に1つ1つを教えていけばいい。
 時には行動で。時には言葉で。
 決意を新たにしたなのはの表情(かお)から迷いの影は薄れ、穏やかな表情が戻ってくる。
「……よし、出来たぞ。シャマルほど上手くはねぇけど」
 ヴィータが得意気に宣言する。
 なのはの右手を覆うちょっとだけ形の悪い包帯。留めるために薬指で結えられた蝶々結び。
「傷跡を残すと、後でフェイトに何言われっか分かったモンじゃねぇからな」
 そう言いながら使った道具を片付ける。
「ヴィータちゃん」
「ん?」
 呼ばれるままヴィータはなのはを見上げる。
 そこにあったのは、
「ありがとう」
 満面のなのはの笑み。
「!!」
 ヴィータの顔が、自分の髪に負けないくらい赤くなる。
「バッ!! 当たり前だろっ!! こんなのっ!!」
 乱暴に救急箱を閉じる。照れ隠しから、ヴィータ自身は励ました事へのお礼だとは気付いていない振りをしているのだろう。ただ傷を治療した事だけへのお礼だと。そこが如何にも彼女らしいとなのははもう一度笑みを零す。
「……それじゃアタシは戻るけど、お前はもう少し部屋で休んでろ」
「え? でも…」
「黙れ。
 どうせ疲れも溜まってるだろうし、教導プランも考え直す必要があるだろ」
 そう言って赤髪の騎士は立ち上がり、白服のエースの頭を撫でた。いつもと反対の光景。
 なのはは少しの間、心地良さに目を閉じて、その感触を受け入れる。
 今、身を任せている赤髪の小さな少女は、あの金髪の少女とは違う意味で、誰よりも頼れるパートナー。白服の少女が守りたい大切なモノの1つ。
 しかしまだ一抹の不安が胸を過ぎるのか、その手が引かれるとなのははすぐ不安そうにヴィータを見上げる。
「でもそれじゃヴィータちゃんに…」
「言う事、聞かねぇとある事無い事吹き込んで、フェイトを焚きつけるぞ」
「……ヴィータちゃん、それ脅しだよ」
「うるせぇ。ともかくお前は休んでろ」
「……うん。ありがとう」
 そう言って立ち上がり、今度はなのはが小さな友人の頭をくしゃっと撫でた。
(たくっ。しょーがねぇなぁ……)
「心配だから部屋まで送ってやるよ」
 言うが早いか、ヴィータはパシッとなのはの手首を掴まえた。
「えぇ? いーよー」
「つべこべ言うな」
 そう言ってヴィータはその手を引っ張っていく。
(やっぱりアタシはこいつには敵わないんだな……。惚れた弱みってヤツか)
 ヴィータは心の中でそう、ポツリと零した。
 後に訪れる頬の赤みを抑える事が大変になるとは知らず。
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