ヴィータの初恋？ ： Little Girl's First Love ?

　夕日の鈍い光を受けて煌めく、十字架に似たシルエット。
　紅き鉄槌、グラーフ・アイゼンがゆっくり半円の弧を描く。

　カキン！

　軽快な音を立て、同じく紅いボールが放たれた。
　一直線に突き進んだボールがやがて目標を捉える。

　カツン！

（よし！）
　軽快な音が響き、同じ大きさのボールが弾き飛ばされた。
　心の中で小さくガッツポーズを作る紅い髪の少女。
　衝撃で弾道と威力が変わった紅いボールは、更に別の目標を捉える。

　カツン！　カツン！

　二度の衝突。
　二度の弾道修正。
　二度の威力調整。
　そして。
　紅いボールは紅い髪の少女が思い描いたとおりの場所でピタリと止まった。
　ほんの10秒足らずの小さな奇跡。
　それはこのゲートボールにおいて、紅の鉄槌の異名を誇るヴィータが招いた奇跡。
「よっしゃ！」
　ヴィータが誰からも分かるガッツポーズを作った。
　３つの相手ボールにタッチした上で、自分のボールを有利な場所で止める。その弾道の見極めから力加減まで、ヴィータ以外にはこの場にいる誰にも真似のできないテクニックだ。
　これでスパーク打撃が確定。邪魔だった相手チームのボールを一掃すれば、ヴィータ達のチームはじっくり第３ゲートを狙う事が出来る。残り時間を考えてもここからの相手チームの逆転は難しいだろう。
「スゲーぞ！　ヴィータ！」
「これで逆転だ！」
　味方チームから歓声が上がる。
「相変わらずヴィータさんのスティック捌きは鮮やかだのう」
「ああ、惚れ惚れするわい」
　味方チームどころか相手チームのご老人達まで、ヴィータのスティック遣いに感心している。
「ウソだろ……」
「…………」
　彼女のプレイを始めて目にする若者達は半ば呆れていた。
　あんな技、狙って出来る物なのか？
　平生、紅の鉄騎としてグラーフ・アイゼンを駆るヴィータには造作もない事なのだが。
　相棒を肩に担ぎ、ささやかに成長した胸を張る。
「へっ、簡単だぜこんなの。アタシに掛かればな」
　さもつまらなそうな彼女の口調。普通なら場が殺気立ちそうなセリフを平気で口にしている。あのスーパーショットがなければ、相手チームの助っ人２人とは一触即発の空気になっていたかもしれない。
　老人達は慣れたもので、それが彼女の素直になれない性格ゆえの照れ隠しであると知っているため、優しくそのセリフを聞き入れていた。
「お膳立てはしてやったんだ。とっとと終わらせようぜ」
　チームメイトにそう告げヴィータは１人、抜き出た自分のボールの前へ移動した。
　相手チームのボールを１つ取ってはスパーク打撃を繰り返す事、計３回。
　あれだけボールが密集していた第３ゲート前は、掃除されすっかり広くなった。
「もうちょっと骨のあるヤツらだと思ったけどな」
　ヴィータは不敵な笑みを浮かべる。スパーク打撃の間中、ずっと目の前で自分の動きを観察していた相手チームのエースへ告げた。
「ク…ッ」
　その少年は悔しそうに顔を歪める。
　友人を２人も助っ人として呼んできてこの結果なのだ。情けないことこの上もない。
　当の助っ人２人組はもはや何も口を挟めなかった。あのテクニックに、一方的な試合展開。２人の打撃位置からもう一度邪魔へ入るにはどう頑張っても、距離と角度がありすぎるのだ。
　ヴィータは生意気な笑みでもう一度エースの少年を見止め、踵を返した。
　そして、チームメイトの元へ戻ろうとした時。
「ヴィータ！」
　少年が静かな声で呼び止めた。
　彼の顔は既に苦笑混じりの表情に変わっている。
「やっぱりスゴイな、お前は」
　少年は自嘲気味にヴィータの背中へ言葉を投げかける。
「ああ！」
　紅の髪の少女は振り返りながら、そのささやかに成長した胸を精一杯張って答えた。
「アタシを誰だと思ってんだ？　紅の鉄槌ヴィータ様だぞ」
　自慢げに、けれどどこか冗談めかして言い返すヴィータ。
　白い歯を見せ、片方の唇の端を持ち上げた笑った。
　如何にも彼女らしいリアクション。
　ヴィータの人となりを人一倍よく知る少年は、妙に納得してしまう。
「…そうだな、そうだった……」
　少年はなぜか頬を染め俯きながらそう呟いた。
　それから周囲の様子を伺い、離れていくヴィータの背中へもう一度、呼びかける。
「あのさ…！」
「ん？」
　一瞬垣間見える彼女の素顔。
　夕日に映える紅の髪。
　ヴィータが振り返った事を確認して続ける。
「終わったらちょっと話しがあるんだ。大事な話し。だから…」
　少年は顔を真っ赤にして真剣な表情で、それとは真逆の小声でヴィータに訴えかける。
　その瞳があまりに真剣だったから。
　夕日に煌めくその様がキレイだったから。
「いいぜ。今日の片付け当番手伝ってくれんなら、そこで一緒に聞いてやるよ」
　本当は早く帰ってはやての夕飯作りの手伝いをしたいのだけど。
　ヴィータは少年の言葉に応じた。

「で。大事な話しって何だ？」
　ゲートボールの道具が入った木箱を倉庫の中へ押し込み、クルリと振り返ったヴィータは少し不機嫌そうに切り出した。一緒に片付けをしている間も、その事について全く触れようとしない少年に業を煮やしたのだ。
　片付けの残りはこの少年が持っている鍵で倉庫の扉を閉める事だけ。それで終了となる。
　陽は既にかなり傾き、間もなくその体を大地へ預けようとしている。
「…………」
　少年は黙ったまま黒い自分の影を見つめている。微動だにしない。
「…おい」
　ヴィータは不思議に思って少年の顔を覗き込もうとした。
　決して短くない付き合いのこの少年が、普段はこんな態度を見せない事をヴィータもよく知っている。何か深刻な相談事だろうか。
「オ、オレは……」
　少年が紅の髪の少女を見上げ、真っ直ぐ見つめてくる。
　ヴィータが一瞬、虜になったあの真剣な瞳。
　あの白服の魔道士の少女と似ている真っ直ぐな瞳。
「オレはヴィータが好きだ！」
　少年は静かな口調で言い放った。
（え？）
　何を言っているんだ、コイツは。
　少年が口にした言葉の意味が理解できず、少女はキョトンと彼を見つめる。
「試合で誰よりも強いヴィータが好きだ！」
　少年の真剣さに反してヴィータは彼の言っている言葉が飲み込めない。
　とても礼を失する事とは分かっていても。
「オレはそんなに強くないし、今日だって負けたけど、もっともっと練習して絶対お前より強くなる！　…そしたら……」
　一気に捲し立ててから一度、息をつく少年。
　小さく息を吸う。
「オレと付き合ってくれ！」
　最後は瞬きすら惜しむよう、ヴィータの瞳を捉えて告げた。
　始めは少年の迫力に呑まれていたヴィータだったが、彼が結びの句を声に載せる頃には彼に負けず劣らずの真剣な眼差しでその言葉を受け止めていた。
「…………」
「…………」
　数時間にも思えたわずかの沈黙。
　その間に太陽はとうとう大地へ体を横たえてしまった。
　もう間もなく黄昏時――。
「……アタシは…」
　ヴィータは考えあぐねていた。
（……これって要するに“告白”ってヤツだよな）
　――はやてが読んでいた本の中にあった一場面。
　恋する相手に想いを伝える、読んでいると恥ずかしいけれどなぜか応援したくなる場面。
　それが今、アタシに訪れている……のか？
　紅い髪の少女の胸中を嬉しさと不安が綯い交ぜになったような感情が満たす。初めて経験する心の動き。
　“好き”という想いを伝えるために、そのたった一言を告げるためにどれほどのエネルギーと勇気が必要か。
　ヴィータは知識としては知っていた。
　だが夜天の書の守護騎士システムというプログラムは長い時の中で一度もそんな場面を彼女に与えてはくれなかった。騎士道精神や臣下としての忠義、相手を慈しみ敬う愛情を知っていたとしても、“恋”を知らないヴィータにとっては、この場面をどう乗り切ったものか、まるで見当がつかない。
　誰かに愛情を与え、そしてまた愛情を与えられる喜びは、実感と共にはやてからたくさん教わっている。今のヴィータにとってはやては主従の関係を越えた誰よりも守りたい大切な存在。はやてを取り巻く家族や友人、仲間たちにも同じ気持ちだ。
　けれどそれはお互いがお互いをよく知った上で、成立するもので“恋”もそれと同じものか、その延長線上にあるものだろうと少女は思っていた。
　だから、ゲートボールの試合相手としてしか知らない目の前の少年を、ヴィータはそう言う対象として見た事がなかった。
　黙り込んでしまったヴィータを少年は一途に見つめ続けている。
　玉砕は覚悟の上。
　彼女の性格から言って、自分よりも弱いヤツは彼氏として認めなさそうだし。自分が彼女より強くなれる保証もない。けどずっと見てるだけというのはいやだ。
「…………」
　少年は自分の手足の震えが激しくなっていくのを実感した。
　我ながら情けない。心臓なんて今にも破裂しそうだ。
　勇気を振り絞って告白したけど、このままじゃ自分がんどうにかなってしまいそうな予感さえする。
「……ゴメン！　返事はまた明日！」
　言うが早いか、少年は踵を返してその場を走り去ってしまった。
　沈黙に耐えられなかったのだろう。
「ハァ――……」
　張りつめていた緊張の糸が切れ、少女は小さく小さく息を吐いた。
　走り去っていく少年の背中をただ見送る。
　どんな言葉を掛けていいか分からなかった。
　彼が走り去ってくれて安心したような、悔しいような、残念のような、初めて味わう安堵感。
　彼の背中が見えなくなって数分後。ヴィータは端(はた)と振り返った。
　１人ポツンと残された彼女。閉めかけていた倉庫の扉へポソッと呟く。
「……どうすんだよ。ここの鍵……」

　自宅へ帰り着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
　いつもよりも遅く帰宅したヴィータをはやては少しだけ叱った。
　それからはいつものようにはやての美味しい夕飯が並べられた食卓を皆で囲み、一緒にTVを見て笑い合い、一緒にお風呂に入った。
　しかし家族団らんの場に置いてもヴィータの心には終始、あの少年の真剣な顔が焼き付いて離れなかった。

「……なぁ、はやて……」
　いつものようにのろいウサギの人形を抱えてベッドに入ったヴィータは、甘えるような声ではやてに問い掛けた。
「なんや、ヴィータ」
　はやてはパジャマに着替えながら、優しく受け答える。
「…あの……、えと……」
　口ごもる紅い髪の少女。
　口は悪いが物事をズバズバ言うヴィータにしては珍しい。
「どないしたんや？」
　はやては努めて優しく言葉を繋げる。
　帰ってきてからずっと様子のおかしかったヴィータ。外で何かあったのか、何か言い難い事でも抱えてんやろかとはやては心配していたのだ。
「はやては告白された事あるか？」
「へ？」
　予想していた事は違う、突拍子もないヴィータの言葉をはやては一瞬、冗談か何かだと思った。
　ヴィータの瞳を見つめる。
　目の前の妹のような少女の瞳は必至だ。必至にはやてへ問い掛けている。
　はやては己の思慮の浅さを恥じ、反省し、少女の瞳を真摯な瞳で見つめ返す。
「私はないよ。そう言うんはちょう憧れではあるけど…」
　はやては微笑み、優しく答える。姉が妹を労るように。
　ベッドへ体重を預け、ヴィータの髪を優しく手で梳く。
「なんや、告白でもされたんか、ヴィータ？」
　はやてが聞くと、ヴィータは見つめていた人形をぎゅっと抱き締めた。どうやら図星らしい。
　はやてはヴィータが自分から話してくれるまで、何度も何度も紅い髪を優しく梳く。
　ヴィータの燃えるような紅い髪は本人の性格を表しているように見えるけれどその実、手触りは繊細で柔らかい。その髪質ははやてよりも上品かもしれない。
　彼女を永遠の闇から解放してみせた少女は、本当の彼女の性格を良く心得ていた。
「…………好きだって言われたんだ……」
　ヴィータがポツリ、ポツリと語り出す。はやての心地良い手の感触と匂いに身を任せながら。
「……はやてが言う“好き”とも、みんなが言う“好き”とも…。
　多分、アイツが言う“好き”とも違う……」
　はやては何も聞かず語らず、紅い髪を梳く。
「アタシには“恋”って良く分からない…………。
　……はやては知ってる？」
　ヴィータがギュッと人形を抱き締めた。
　はやては優しく微笑む。
　今、吐息が感じられる距離にいる小さな女の子は、未知の感情に恐れを抱いている。
　恋への憧れと不安と。得体の知れないもどかしさを持て余している。
「そうやねぇ……」
　はやては優しく諭すように、声を発した。
「私も本や聞いた話しでしか知らんし、本当の恋がどんなものかはわからへん。
　けど、“恋”はとってもステキな事だと思うんや」
　遠い景色を眺めるよう目を細める。
「恋にも色んな恋があって、好きにも色んな好きがある。
　ヴィータがどんな恋をするかは、分からんけど、恋をして誰かを好きなったら、その誰かがヴィータの一番になるはずや」
　はやての手はいつの間にか、少女の頭を撫でる手付きに変わっていた。
「その誰かさんをいつも一番に考えて、大切に思って。一番信じられる人になる言うんはとってもステキな事だと思わへんか」
「…………アタシの一番ははやてだ」
　顔を上げずポツリと、けれど力強くヴィータは言った。
　はやては苦笑する。紅い少女の中では今も告白された時の動揺が続いているのだろう。
「せやけど、ヴィータさっき自分で言うたやん」
　ヴィータの肩が小さく震え、視線が通る。不思議そうな顔。
「私の“好き”とも、皆の“好き”とも、アイツの“好き”とも違うて。
　私の事を一番に思ってくれる好きと違う“好き”なんやろ？　その告白した子の“好き”は？」
　ヴィータの瞳が見開かれた。驚きを隠せない様子だ。
「それが“恋”かどうかはヴィータ自身しか分からへんよ。
　でもその子が言った“好き”はヴィータにとって初めての“好き”なんやろうね」
　最後の夜天の王は微笑み、慈愛に満ちた表情を紅い髪の少女に投げかけた。
　やがて驚きで一杯だったヴィータの表情に赤い色が加わる。
　はやての顔を真っ直ぐ見ていられなくなった彼女は、人形に顔を埋めた。
　はやての言葉は暗に語っている。
　今、紅い髪の少女が感じている未知の感情は、恋とは違う。けれど恋の入口、恋の始まりかもしれないと。
　誰よりも信頼しているはやてから言われ、ヴィータはようやく自分の中で動揺を繰り返す未知の感情を整理する事が出来た。
　まだモヤモヤはしているけれど、何となく正体は掴めたような気がする。
　そして驚いたのは、ヴィータ自身の中でそのモヤモヤの向こう側に垣間見えた人物が、主はやてでも、あの少年でもなかった事。
　白服のアイツ……。
　あの事故以来、出来るだけ一緒に居ようとした……。
「…………」
　相変わらずヴィータの頭を撫でながら、はやてはすっかり安心していた。その雰囲気からは緊張が取れ、いつもの彼女と同じ。
「なぁ、はやて……」
　顔を上げず発せられた言葉にも、動揺の色は微塵も感じられない。
　むしろ、以前よりも柔和になったような。
「なんや？」
「アタシもちゃんとした恋が出来るよな？」
　確信に満ちた声。
「大丈夫や。年を取らない事以外は、ヴィータは普通の女の子と変わらへん」
　はやては確信を持った声で答える。ヴィータには良い“恋”をしてもらいたい。
　誰よりも人の心を感じられる娘だから。
「あ、でも。この世界の普通の娘は魔法を使ったりせえへんか」
　はやては冗談めかして言う。
「あー！　はやてー！」
　ぷくーっと頬を膨らませ、ヴィータははやてを睨む。がすぐにはやてに似た優しい笑顔を見せる。
　自分はもう大丈夫だからと。

　それからヴィータは眠りにつくまで、今日のゲートボールの試合の事をはやてに話して聞かせた。

　翌日の夕方。
　ヴィータはしっかりと少年の申し出を断ったらしい。