EARTHLING

　その場所は緑に満たされていた。
　正確には“緑の光によって”である。
　その場所は立方体の空間を形成し、天井や壁、床などの空間を構成する全ての面から、緑色の光が発せられている。扉の類が一切存在しないところを見ると、どうやら人が入るために作られた空間ではないようだ。天井や壁という呼び方自体、正しくないのかもしれない。
　この空間を外界から切り離している四方の構成要素を、仮に“壁”と呼ぶことにする。
　“壁”の表面は平らではなく、一定の間隔ごとに正方形の窪みが点在している。大きさを測ることはできないが、空間の規模から比較すると、とても小さなものだ。この窪みは“壁”全てを埋め尽くしている。
　そして、緑色の光はこの窪みから発せられているのだ。
　緑色の光は、ある周期ごとに点滅を繰り返している。窪みの縦方向へ順次点滅していくので、光の滝か、電光掲示板といった趣を呈している。
　この奇妙な“壁”それぞれにはさらに、ミツバチの巣を思わせる末広がりな、まるでラッパのような、円錐形の物体が取り付けられている。天井、床、四方の壁、全てに1つずつ、合計6つが存在するそれは、立方体空間の中心へラッパの開口部を向けている。そしてそれぞれが向かい合わせの壁にある全く同じ物と、開口部同士を向き合わせる格好で設置され、そのラッパのような物体の表面には“壁”と同じ窪みが存在し、緑色の光を発しているのだ。
　ところが互いに向き合っている円錐形のラッパ開口部分の表面は、窪みがなく平らである。
　開口部からその物体を見ると、まさにラッパであり、円錐形自体はそれを形作る“型枠”だけで、中を満たしているものは透明な液体のようだ。
　全くもって奇妙奇天烈なこの空間には、さらに奇妙なものが存在した。
　空間のどの面からもちょうど中心となる位置に球体が浮かんでいるのである。球体を構成する物質は円錐形の中身を満たしているものと同じ透明な液体である。
　それは時折上下左右へ不規則に揺れ動いている。動くたびにわずかな振動で、球体の表面を波紋が走っていく。誰かが意図的に動かしているわけではなく、球体自身が意志を持って動いている。
　しばらくその空間内で漂うように揺れ動いていた球体が、急にその中心で一時だけ動きを止めた。
　すると…。
　
　ピ―――！
　
　突如、球体に向かって円錐形の物体からレーザーのような直進性のある光が当てられた。
　6本の光線が球体を突き刺している。
　光を当てられた球体は中心が白く輝き始めた。光の蓄積と共に少しずつその白い輝きは周辺へ向けて広がっていく。
　やがて、球体の全てが白く変わり、同時に光の照射も止まる。
　球体はそれまでの動きを完全に止め、同じ位置にジッと留まっている。表面がエナメル質のような光沢を持った物質に変化し、周囲の光を鏡のように反射している。
　さらに球体はその全体を少しずつ緑色へと変化させていった。
　そして…。
　
　ピシッ！
　
　球体の表面にヒビが入る。
　
　ピシッ！　ピキピキ…ッ！
　
　ヒビは徐々に広がり、球体の表面がまるで卵の殻のように割れていく。割れた殻は一定方向に移動していき、ここで初めてそちらに重力が働いていることが分かる。割れた殻の欠片は、下へ落ちきる前に霧散し、空間に融けていく。
　
　ピキッ！　ピキッ！　バキーンッ！！
　
　遂に球体が真っ二つに割れた。
　その大きく割れた殻も同じように砕け、空間へ融けていく。
　果たして、中から現れたのは全裸のまま横たわる少女であった。
　体型は14〜15歳くらいに見えるが、顔つきはもう少し幼く見える。
　栗色のショートカットが重力と周囲の影響で下へ棚引いている。
　瞳は閉じられているが眠ってはいないようだ。
　やがて。
　何の音もなく、少女の目前に緑色の読むことのできない文字が表れた。それは一定の速度をもって次々と羅列されていき、一文が終わると部分で改行されては再び羅列されていく。
　さながら、少女に対し呼びかけを行っているようだ。
　そして、20節目が並び、最後の1文字が点滅を始めると、少女の両瞼がゆっくり開かれていく。その瞳に周囲の緑色の光が反射し、エメラルドのように輝いて見える。
　少女の瞳が完全に見開かれると再び文字の羅列が始まる。
　少女はそれを瞳で追っている。時折意味不明の言葉を発しながら。
　全ての文に目を通すと少女は体を動かすことなく、診療台にはり付けられたままのような体勢で静かに回転し、直立の姿勢をとる。
　「ワ、タシハ、マルチ…。マルチ・ダイヤトーン…。ワタシのにん務はヒューマリングへの警告、及び評価の度合いによる実力の行使」
　それだけ告げると、少女の体は微細な粒子となり、壁の円錐に吸い込まれていった。
　
　数十分後――。
　月基地衛星通信管理部に凄まじい警告音が鳴り響いていた。
　「艦船の航路通信回線！　及び惑星間相互管理回線への侵入は何としても防ぐのだっ！！」
　「了解っ！！」
　管理部副部長が声を張り上げて、オペレーターへ命令を伝える。
　「副部長っ！！　過剰負荷によりシステムが次々とダウンしていきますっ！！」
　「予備回線を使えばいいっ！！
　人工知能研究所からの接続が開始されて何分だっ！？」
　「まもなく3分を越えますっ！！
　異常な数値だっ！　これだけの回線を使って何を送信していると言うんだっ！？」
　その後、十数分間にわたってあらゆる通信用回線が、なぞのデータ送信に使われ、月基地及びその関連施設、並びに地球圏全体の通信網は大混乱に陥った。
　これが物語の始まりであった。