Honeymoon 3

　膝を折り曲げ、真っ直ぐ背筋を伸ばした姿勢のまま。
　瞳を閉じ、唇を突き出しているアリサの姿をすずかはとても愛おしく想う。
　太ももの上に置かれた両の拳が、彼女の緊張を物語っていた。
　キスは……、当然ながら初めてではない。恋人同士が交わす深いキスも知っている。大親友の三人の前でだってバードキスを交わした事がある。
　けれどそれは気心が知れた、そして二人の恋を応援してくれる仲間たちの前だからこそ交わせたキスであって、彼女の目前で交わすのは初めての事。彼女、トワに二人のキスを直接見せるのはこれが初めてだった――。
　キス魔――これはアリサ自身が公言している――でありながら、照れ屋であるアリサにとってこれ以上の恥ずかしさはないのだろう。すずかはアリサのそんな所が溜まらなく愛おしくて、その羞恥に耐えている姿をいつまでも見ていたいと思うのだが、今はその時ではない。
　これ以上引き延ばすと、アリサが焦れて文句を言うであろうギリギリのタイミングを見計らい、すずかは軽く優しく唇を重ねた。
　一回目――……。アリサの堅くなっていた顔に赤みが差す。
　二回目――……。赤みが増し、唇の緊張も取れてくる。
　三回目には――……、彼女の唇が持つ本来の柔らかさが感じられた。
　満足して一度唇を離したすずかは、チラリと小さな食卓の向う側に座る彼女へ視線を送った。
　必死でこちらを凝視している、幼い頃の自分と同じ容姿の彼女を挑発するように。彼女の嫉妬心を少しでも煽れるように。すずかはトワの瞳を一瞬だけ捉えて、再びアリサの愛らしい姿を真っ正面から見据えた。
（見ててね、トワちゃん――……）
　抑えても抑えても溢れてしまうアリサへの愛しさの上にトワへの想いを飾り付けて、すずかはアリサに向けてそっと手を伸ばす。アリサがたったあれだけのキスで満足しない事を当然のように知っているから。
　またもアリサが焦れるギリギリのタイミングで、すずかの両手は彼女の顔を両側から挟み込んだ。
　薄く目蓋の開いていたアリサの瞳が閉じられる。
「ンフ……」
　つい漏れてしまった笑みを残り香に変えて、すずかは今度は強く唇を押しつけた。
　一度押し付け、角度を変えてもう一度。更に角度を変えてもう一度――。
　溢れる愛しさを刻みつけるように何度もキスを繰り返し、やがてすずかの唇はアリサの上唇や下唇を啄み始める。
「……や、すず…………」
　キスの隙間から漏れ出た拒絶の言葉も、すずかは自らの唇で覆ってしまう。それが本当の意味での拒絶でない事を知っているから。アリサの照れ隠しである事を知っているから。
　本当に嫌だったら、ガッチリと固定しているすずかの両手を振り解いてでも、この場から逃げようとするはずなのだ、アリサの性格なら。自分が了解できない事を甘んじて受け入れると言う事は絶対しないのが、アリサ・バニングスという少女だ。
　それを理解しているから、すずかは更にアリサの情欲を引き出そうと、唇を押しつけ、擦り付ける。鼻の頭をすり合わせ、鼻腔から漏れる甘い声を、アリサの顔に振りかけていく。
「……ん、ふぅ…………、ぁ、り……ゃちゃ…………」
「んん、ぅ…………。ん…………ぅふ！」
　いつの間にかすずかは膝立ちになり、アリサへ覆い被さるよう背中が緩やかな曲線を描いている。時折、テーブルの向こうのトワへ左目の薄い視線を送りながら、彼女の意識はそのほとんどをアリサへと向けていた。
　一方のアリサは、太ももの上で握っていた拳を解き、上半身を支えるよう両腕を後ろへ突っ張っていた。両膝はまだ折り畳まれた形を変えていない。それがアリサなりの最後の抵抗。すずかの提案を受け入れた時から覚悟は出来ていたが、実際にこうした行為に及ぶと、つい恥ずかしさが先行してしまう。膝を崩せば最後、間違いなくすずかに押し倒されてしまうだろう。
　彼女はアリサよりももっと愛を育む事に積極的だ。アリサよりも肌を重ねて愛を確かめる事に重きを置いている。つまりはそこまでえっちな彼女が、ここまでの行為で満足してくれるはずはない。もしこのまま押し倒されてしまえば、すずかに愛される全ての過程をトワに見られる事になる。その恥ずかしさは計り知れない。何としてもここまでで押しとどめなければ……。
　だが、アリサの決意をよそにすずかは、唇を重ねる行為を更にエスカレートしていく。
「んぅ、……ピチャ…………」
「ひ、ぁ……ぁぁ、す、ず…………」
　滑らかな水音が聞こえた瞬間にはもう遅かった――。
　伸ばされたすずかの舌が軽くアリサの上唇を舐めた瞬間、アリサは驚きのあまり唇を開いてしまう。その隙間をすかさずすずかの舌が捉えた。
「あっ！！」
　遠くでトワの声が聞こえた気がしたが、アリサの意識は既に口内でうねる、全く別の生き物となったすずかの舌に集中せざるを得なかった。はやてがかつて「アリサちゃんてキス魔やなのに、いつも返り討ちに遭うとるんやね」とからかっていたが、それはすずかの深いキスを体験してから言って欲しいとアリサは思う。
　夢中になったすずかのテクニックは尋常では無い。自分の秘部が濡れてしまうのもいとわず、全力でアリサを感じさせようと、濡らそうとする。味、音、匂い、そして感触とほぼ全ての感覚を総動員してくるのだ。キス好きなアリサでもこれには敵わない。
　――もしかすると今日はキスだけでイカされてしまうのではないか。アリサはあながち的外れでなさそうな、そんな想像を抱くようになり、その度に背筋をゾクリと甘い疼きが駆け抜けていた。
　そして――、薄目を開けたアリサはゼロ距離ですずかと目が合い、その瞳の合わせ鏡の中に、自分でも見た事の無いほど蕩けた自分の瞳を見つける。濡れているのはもう、瞳だけではない。
　チラリとすずかが瞳を逸らし、視線を外す。
　アリサも促されるままそちらへ視線を投げると、そこには今し方の彼女と同じ濡れた瞳の色をした幼いすずかの、いやトワの姿があった――。
　一瞬、アリサと目があったトワはすぐに視線を下げてしまう。逃がした視線の先を見てトワの頬は更に赤くなっていた。
　正座をしたまま太ももをモジモジと擦り合わせ、両の手をそこへ持って行こうか思案している真っ赤な少女の顔。
　一度下げた視線を、トワは再び逢瀬を続ける二人へ向ける。視線が交錯するとまた顔を下げ……同じ動作を繰り返しているらしい。
　どうやらすずかの思惑は見事に的中していたようだ。
　彼女の幼い頃に似て、トワもまたえっちな事には積極的ではないらしい。彼女をその気にさせる最も手っ取り早い方法は、嫉妬心を煽る事。すずかはアリサとの行為を見せつける事で、トワの羞恥心を取り除こうと考え、それを今、実践している。トワの見た事もないあの色っぽさと恥じらいをない交ぜにした表情は、それが成功した事を示している。すずかは満足そうに妖艶な笑みを浮かべた。
　幼い頃の自分がアリサへの嫉妬心から、恥じらいを捨て積極的になったように、トワにも同じように純情な恋から一歩踏み出して貰おうと始めた、アリサとの大人のキス。それが実を結んだのだ。
　すずかにとってアリサへの愛しさは全く変わらない所か、ますます強くなっている。
　一方で、トワに対しては妹の恋を応援する姉のような想いがある。想い人が同じ女性というのは滑稽ではあるけれど、他ならぬトワならそれも許せてしまう。
　今、三人は偶然出来上がった異空間の中に三人きりで閉じ込められている。この閉鎖空間の封印を解く鍵は、この空間が作られるキッカケとなった、三人の中の誰かの願いを叶えること。それが誰のどんな願いかは分からないけれど、これだけお膳立ての揃った機会はそうそうに巡ってこないだろうし、何よりトワは滅多に会える機会がないのだ。彼女の想いを誰よりも理解しているすずかは、彼女の想いを遂げさせてあげたいと強く願っている。
「んふ……。アリサちゃん…………、イイよね？」
　驚くほど艶っぽい声と表情でそう告げたすずか。
「！！」
　アリサの背筋を悪寒にも似た得体の知れない感覚が駆け抜けた。
　もし、ここでウンと言えば、彼女は間違いなく最後までこの行為を続けるだろう。トワの見ている前で。
　自分がこの上もなく恥ずかしい嬌声や言葉を紡いでしまう事を想像し、しかもそれをトワに見られる場面を想像して、その異常さにアリサは思わずお尻の窄まりをキュッと引き締めた。それはそのまま粘液が滴る彼女の下腹部からのサインでもある。下腹部の空洞を埋めようと、何かを奥へキュッとくわえ込む原始の情動。
　見られながらというのは、どういう感覚なのだろうか。
　そしてもし、いやもしかしなくてもすずかと同じような容姿と感覚を併せもつ、トワが我慢できなくなったら……。
　それを想像したアリサは、戸惑いと期待を添えて、言葉を紡いだ――。
「……………………イイわよ」