ズンッ!!
突然、地面を揺るがす振動。続け様、ガラスの飛び散る音と重々しく響く破砕(はさい)音。
二人は音がした方へ首を向ける。
天井を支えている巨大な石柱の一本が魔力の奔流(ほんりゆう)にその巨体を削り取られ、崩れ始めていた。
こんな無作為(むさくい)に溢れ出ているだけの魔力が物理破壊を引き起こすなんて、一体どれほどの魔力量が放出されているのか。楽観的だった少年たちの表情は一変、その思考を暗い影が覆う。
「ウカウカしていられないよ、クロノ」
「ああ、分かっている」
静かな調子だったクロノの声に、焦りの色が滲む。
既にロストロギアが放出した魔力量は想定の範囲を超えている。行き場を失った魔力の奔流(ほんりゆう)は建物内に張られた結界を突き破ろうと、ますますその威力を増す。ロストロギア自身が逃走を図ろうとしているのか。
クロノがシールド越しに感じていた圧力はあっという間に重くなる。威力の半減していない向う側で渦巻くそれはコンクリートの壁が押し迫ってくるのに等しいのだろう。同じ圧力が屋敷の壁や石柱を襲っているとしたら……。
このままでは例えシールドが耐え切れたとしても、この屋敷の方が先に倒壊してしまう。
予想を上回るロストロギアの魔力量が、事態の経緯を加速度的に早めていた。
時は一刻を争う。
「…………クロノ？」
ユーノがもう一度、呼びかける。
「…………」
彼は答えない。
その沈黙が何よりの答えだった。
ズズンッ!!
再び地面が揺らぐ。また一つ、別の石柱が崩れたらしい。
頭上から舞い落ちてくる瓦礫(がれき)の大きさが増した。砕け散ったガラスや窓枠の木材が、魔力の奔流(ほんりゆう)によって引き起こされる暴風に乗り、飛び回っている。結界のおかげで屋敷の外へは飛び出さないものの、その飛沫(しぶき)は確実に屋敷や二人の防御魔法(シールド)の耐力を削いでいく。加えてこの場の魔力が増えれば増えるほど、ユーノが担当している射撃魔法の砲台(スフィア)は分裂して数を増やし、その威力も上がっているのだ。
クロノは利き手に握られた詠唱(えいしよう)中のデバイスを見た。
（このまま詠唱(えいしよう)を続けても間に合わない可能性が高い、どうする……)
必死に考えを巡らせる。
これだけの魔力量を封じ込めるには、このデバイスに仕込んだ封印魔法(クリスタルシーリング)を使うしかない。けれど詠唱(えいしよう)にはまだ時間が掛かる。かといって他の対応策では既に手遅れだ。これに変わる魔法は用意していないのはユーノも同様。
少年はチラリと背後を見やる。
雨のように浴びせられる射撃。間隙(かんげき)を縫(ぬ)って砲台(スフィア)を破壊するのは不可能。蜂の巣にされてしまうのがオチだろう。そもそもあの砲台(スフィア)はこの魔力に反応して射撃をしているのだから、ロストロギアを押さえない限り状況は変わらない。
その上、屋敷を覆うように張った結界が裏目に出てしまった。結界内の魔力密度が高すぎて外との連絡を完全にシャットダウンしている。
このままでは彼と一緒に……。
一瞬、それも悪くないと思ったが、それでは単なる現実逃避。職務怠慢(しよくむたいまん)も良い所だ。
まだ試すべき事が、残っている。
「ユーノ……」
重々しい声でクロノが問いかける。
「五秒で良い。その射撃とこの魔力、一人で防げるか？」
「え？」
ユーノが一瞬、背中のクロノを振り返る。
彼は振り返らない。だが彼の背中が語っている。有無を言わずそれをやれと。問い掛けという体裁(ていさい)を取ってはいるけれど、それは命令に他ならない。
そしてその言葉の裏に潜ませた意味。ユーノに対する絶対的な信頼。
「…………五秒で良いんだね」
「ああ」
「分かった……」
ユーノの頬を汗が伝う。身体の中を熱と冷気が同時に駆け抜ける。
自信はあるけど確信は持てない。でもやるしかない。
クロノが信じてくれている。あのクロノが。
ユーノは両手で展開しているのとは別にもう一つの防御魔法(セクサングルプロテクシヨン)を準備する。万が一のためにクロノから預かった、今、彼が展開しているのと同じ魔法。既に数式も書き換え済み。ただデバイスの補助無しでは処理が重すぎて長時間は使えない。切り替えるタイミングは両手の防御魔法(ラウンドシールド)を閉じるのと同時。それを間違えば二人とも……。
彼と一緒に逝くのは悪い気はしないが、まだこんなところで終わる気はない。
ユーノの心を一瞬、彼女の笑顔が過ぎった。
「三、二、一で魔法を切り替えるよ」
「分かった」
クロノは利き手に握られたデバイスに意識を集中する。
彼の合図と共にマルチタスクからシングルタスクへ。展開中の防御魔法(セクサングルプロテクシヨン)を一端閉じ、封印魔法(クリスタルシーリング)の残りの詠唱(えいしよう)を一気に終える。ロストロギアを封じ込める。
間に合え！
「行くよ。――――三。二。一、クロノ！」
その瞬間、時間が飴のように引き延ばされた。
「クッ！」
クロノの展開していた防御魔法(セクサングルプロテクシヨン)が消失。
風圧の支えを失ったスカートの端が地面へゆっくり近づき、
「……其は守護の楯、汝が名は六角陣の盾(セクサングルプロテクシヨン)！」
続け様、緑の魔力で構成された半透明の半球体が二人を覆う。
風圧が生まれ、スカートがゆっくり翻(ひるがえ)る。
「五、四……」
「……彼の者の力を封じよ。透明なる牢獄(クリスタルシーリング)！」
青く輝く魔方陣。
クロノの構えたデバイスから一気に魔力が放出され、ロストロギアの周囲にダイヤモンド型の結界を形作る。それが一回だけでなく、二回、三回と繰り返され、
「三、二、一！」
「終わりだ！」
クロノが言い終えるのと同時に四つ目の青いダイヤモンドがロストロギアを覆い、四重の結界となる。
見事、ロストロギアは結界内に閉じ込められ、同時に魔力の放出も止まる。
時間が急速に本来のスピードを取り戻した。
だが、まだこの空間内に放出された余剰魔力は失われていない。
射撃も魔力の奔流(ほんりゆう)も収まるまでには、まだ時間が必要だ。
「クロ……」
ユーノが呼びかける。正六角形によって組み合わされたドーム状の防御魔法(セクサングルプロテクシヨン)がはじけるように消え去り、
「分かってる！」
その声へ被せるようにクロノの声が響き、再び青い防御魔法(セクサングルプロテクシヨン)が展開される。
封印魔法(クリスタルシーリング)を展開していたデバイスを放り投げ、もう一つのデバイスを両手で握りしめた。
全てが収まるまであと数十秒。
封印魔法(クリスタルシーリング)の発動で大量に魔力が消費されたため疲労が大きい。魔力の運用も鈍く、シールドの形も不規則だ。
（持つか……）
背後を一瞥する。
ユーノも疲弊している。デバイスを使わなかった分、彼の方がダメージは大きいようだ。彼の分まで替わってやりたいが、両手で持っているデバイスが恐ろしく重い。
シールド越しに感じる圧力は疲労と相まってますます重く感じる。
ふと、弱気な考えが頭を過(よ)ぎる。
――もうすべき事は終わった。ここで魔法を解いても死ぬ事はない。このまま魔力を浪費するよりは……。
「……ク、クロノ！ 駄目な時は言ってくれ！ 僕が何とか……」
一瞬、自分の心が見透かされたような気がして、クロノは沈みかけていた気力を取り戻す。
そうだ。背中を預けて合っているのだから、一人が倒れれば、もう一人も巻き込まれて……。
「大丈夫だ。ユーノこそ勝手に落ちるなよ！」
両手に力が戻ってくる。
まだ終わってはいない。
負傷と疲労ではその後に費やす時間が大きく異なる。それを知っていながら弱気になってしまった自分をクロノは恥じた。
そしてもう一度、背後を一瞥する。
（……全く、君ってヤツは……）
彼は昔からそうだった。割り切りの良い自分に比べ、あきらめる事をしない。
――ここまで来たら、二人とも無傷で。
目標が見つかればクロノの切り替えは早い。
ありったけの魔力をかき集め、振り絞った。
そして――。
屋敷内は静寂を取り戻していた。まるで台風が過ぎ去ったかのように、荒れ放題ではあるけれど。
ロストロギアを封じ込めた青いダイヤモンドは燐光(りんこう)を放ちながら、フヨフヨと浮いている。
「――はい。はい。それでは収容をお願いします。艦長」
通信を終えたクロノはすぐさま腰を下ろした。今は立っているだけでも億劫(おつくう)だ。
それからベッドへ仰向けに倒れ込むように背中を倒し、
「重いよ、クロノ」
背中合せで座り込んでいる彼の背中へ、自分の背中を預ける。
「お互い様だ」
ユーノも負けじと体重を預けてきた。
「…………」
「…………」
二人とも無言で、室内の惨憺(さんたん)たる様子をボーッと見つめている。
幸い、二人に傷はなく、メイド服にも破れはない。汚れは洗えば落ちるだろう。
対峙したロストロギアの割に被害は少なくて済んだ。
これも彼が協力してくれたお陰だろうか。
「なぁ、ユーノ……」
「ん？」
「…………何でもない」
「ハァ……」
ユーノは小さくため息をつき、それからますます、彼に体重を預けた。
メイド服越しに彼の鼓動を感じる。
クロノは背中に掛かる重さを不思議と心地よく感じながら、目を閉じた。
彼の体温は疲弊した身体に優しく染み渡り、安息を実感させてくれる。
メイド服を着た二人の少年は、そのまま達成感とお互いの温もりを感じながら意識を手放した。
十分後、屋敷の外で辣腕をふるっていた二人の魔法少女が迎えに来るまで、二人のメイド少年は背中で支え合いながら、夢の世界に興じていた。