兄弟 -キョウダイ- の刻印

その1 明(アキラ)と剛(ツヨシ)

「はぁーっ」
 俺は大きくため息をついて、ベッドに寝転がった。
 ペンとノートと辞書が散らかったままの机。
 三〇分経っても一ページも進まない参考書。
 明日からテストだってのに、何やってんだ、俺。 
 高校二年の、しかも二学期のテストとなれば、当然その結果は内申書にひびく。
 今がすごく大事な時期だって言うのは分かってる。
 でも…。
 俺は天井をにらみつけた。
 元々、悩むのは得意じゃない。
 イヤなことはカラオケでも、ケンカでも良いから、思いっきりはじけてスカッとする。
 それでも、変わらないときは、何もかも忘れて寝る。
 いつもは、これでスッキリしていた。
 でも…。
 今度は違う。
 それは…。 
 
 コンコン…。 
  
 突然、ドアがノックされる。 
 俺の思考はここで一時中断。
 即座に時計を見る。
 PM九時二一分。
 
 コンコン…。 
 
 再び、響くノック音。
「誰だ」
 我ながら変な質問だな。
 この時間じゃ、親はまだ帰ってきてない。
 今、この時間、家にいるのは俺ともう一人。
 
 ガチャ…。
  
 静かに、しかし乱暴にドアを開けて、そいつは入ってきた。
「“誰だ”は無ぇだろ、バカ兄貴…」
 相変わらずのぶっきらぼうな物言い。
 俺の弟、剛だ。
 しかし、珍しいこともあるもんだな。
 普段はまったく話さないくせに、今に限ってすぐに返事を返してきた。
「……………」
「……どした? 何か用があるんじゃなかったのか?」
 俺も不器用だ。こんな訊き方しかできない。もっとイイ訊き方があるだろうに。
「……………」
 弟は相変わらず黙ったまま。
 剛はだいぶ前からこんな感じで、ほとんど家族と話さない。たぶん、反抗期というヤツだろう。
 俺にもあったような気がするが、自覚はない。
 うちは両親とも共働きで、帰りが遅く、特に父親とは夕飯を食った記憶がここ数年、数えるほどしかない。そのお陰で俺たち二人は勝手気ままに育ってきた。やりたいことは自由にやっていい、そのかわり、責任は取れと言うのがうちの方針だ。 
 だからと言って両親との仲が悪かったわけじゃない。たまに全員で食事を取れる日には、ホントによく話をして笑いあった。 
 ところが最近の剛は両親だけじゃなく、俺が話しかけても答えなくなった。まったく答えないから頭にきて怒ったこともある。 
 兄からすれば、それは嬉しいことでもあり、憎いことでもある。それまで頼られていたのだから当然と言えば当然だろう。
 それが今日に限っては急に話しかけられたのだ、驚くなと言うほうが無理だろう。
 剛は、何も言わないまま、俺の寝ているベッドの縁へ腰を下ろした。
 何か改まった、妙にピリピリとした緊張感を漂わせている。 
「……これ」 
 不意に手に持っていた封筒を俺に差し出す。 
 剛らしくない、如何にも女が使いそうなピンク色の封筒だった。
「なんだ、これ?」
 分かっていてもわざとはぐらかす。素直じゃないところはまだよく似てるな、俺は。
 心の中で苦笑しながら弟の返事を待ったが、それ以上剛は何も言わず、ただ封筒を差し出しているだけ。
 
 カサ……。
  
 戸惑いつつ剛の手からそれを受け取って開く。中から出てきた物はやはりピンク色のの便せんに、丸字で短い文が書かれていた。
 俗に言うラブレターだ。
 自慢じゃないが、俺は普通のヤツよりモテるらしい。こういった手紙をもらうのは今学期に入って三度目だ。
 一通り目を通した後、俺はそれを元のように封筒へしまった。
 剛はそれを待っていたかのように切り出した。
「……なぁ、どうするんだ?」
「ん?」 
 今夜は珍しい事だらけだ。いつもの剛ならこんな事を気にもせず、さっさと出ていくはずなのに。俺の、その手紙に対する返答を予測して、吐き捨てるセリフのようにドアを乱暴に閉めて。
 なぜ、わざわざ関係のない剛が手紙の返事を聞きたがるのだろう? 
 俺が弟に返事を託すとでも思っているのだろうか? いくらぶっきらぼうな俺でも、こういうことはキッチリしておきたい。ちゃんと自分の口で言うのが、当たり前だ。関係のない剛にわざわざ返事を託すなんて…。
 ……関係ない? 
 ふと、自分の心に引っ掛かった。
 関係ないなら聞かないよな。関係があるから聞くのか…。 
 ………!!
 そう言うことか。 
 ………そうか………。
 俺の中で突然、疑問が完結した。 
「…お前、この娘に気があるのか?」
 まただ。こんな余計なこと。放っておけばいい物を無理に気を回すのは、兄貴としてのクセだろうな。もし俺が弟だったら、こんな気遣いはシャクに障るだけだろう。
「ああ、お前には勿体ないからな……」
「!!」
 俺の読みに対して弟の返答は一八〇度、違うものだった。
 否定するかと思ったが、しっかり返して来やがった。しかも“お前”扱いか。成長しているのは認めるが………。
 嫌われたものだ……。
「そうか……。
 まぁいい。相手の弱みにつけ込むようなことはするなよ」
「バカ兄貴。…あんたとは違うよ」
 忠告のつもりだったが、これも余計だったか。
 全くいつからだろうな、こんなギクシャクし始めたのは……。
 そう自分に問いながら、俺は心の中で苦笑いしかできなかった。
 こんなの笑うに笑えねぇじゃねぇか。
「じゃぁな…。
 これはオレが渡しておく」
 にべもなく立ち上がり、弟は俺から手紙をひったくり、足早にドアへ向かった。
「あ…、おい!」
「おやすみ…」
  
 バタン! 
 
 他のヤツなら追いかけて、ちゃんと問いただすだろうな。勝手に持っていくなと。
 俺にはそんなことは出来ない。
 これ以上、剛との関係を壊したくない。問いただしたところで口を利かないのは分かっている。
 だから追いかけたところで無駄なんだ…。 
 ……結局、一番怖がっているのは俺か。 
「…………ふっ、バカだな」
 思わず口にしたが、弟に言ったのか、自分に言ったのか、定かではない。
 洒落にもならねぇ。
 よりにもよって、一番好きなヤツを一番嫌いなモノに取られるなんて。
 一番話したかったヤツと話すキッカケが、一番したくない話だったなんてな。
 俺はベッドに横になって、もう一度、天井をにらみつけた。
 その時、玄関のドアが開く音がして、母親のただいまの声が聞こえた…。
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