LOVE PHANTOM

注　　意
この小説はR指定です。
特に「カードキャプターさくら」に対して譲れない世界観がある方、エッチやアダルト、露骨な表現を好まない方は読まない方がよろしいかと。
　 　人は誰でも心の中に獣を飼っている――。
　実態のない幻のようなそれは欲望であったり、恨みであったり。人により様々。
　それが暴れ出すと人は醜く変わり果てる。
　李家の次期当主として育てられた小狼は、幼い頃からそれを目の当たりにしてきた。
　だから自分だけは、といつも心を律していた。自分だけはあの獣を飼い慣らしてみせると。
　事実、少年はそれを実践できていた。
　“さくら”という少女に出会うまでは。
　彼女の肌の柔らかさを知るまでは。

＊
　帰宅後、すぐシャワーを浴び、リビングへ戻ると彼女がそこにいた。甲斐甲斐しく食事の材料らしきものを手に提げて。

「眠れなかったんだよ、私。小狼くんが急に行っちゃったから」
　小狼の今の姿に驚いてそっぽを向いた彼女の、背中越しに聞こえたセリフ。
　それを聞いた途端、小狼の頭の中は真っ白になる。
　恋い焦がれたさくらが思いがけずそこにいた。
　さくらの第一声はいじらしい拗ねたようなセリフだった。
　張り詰めていた糸がプッツリと切れるほど、さくらの思いがけない訪問には破壊力があった。
　自分の髪が濡れたままであろうと、上半身がまだ裸のままであろうと、小狼はお構いなくさくらを振り向かせ、自分の腕の中に収める。
　手の平から、腕から、胸板から、そして前身頃全体から、布越しに感じる彼女の温もり。
　鼻腔をくすぐる甘い香り。
　密着していることでより強く響く心臓の鼓動。
　そして。
　そして何よりも少年の意識を夢中にさせているのは、唇からの感触。肌と肌が直接触れあう熱さ。約72時間ぶりの彼女の柔らかさだった。
（まだ荷物も解いていないのに。何をやっているんだ、俺は？）などと自分を冷静に客観視している自分がもう１人いる一方、一度火が付いてしまった少年の欲望は収まることを知らない。更に彼女を求めるよう、強く唇を押しつける。

　さくらの身体は強張ったまま、まだその緊張が解けていない。
　いくら普段からふんわりした彼女でも、不意を突かれた抱擁には動揺してしまう。
　いくら相手が愛しい少年だとしても、再会して２、３の言葉を交わしただけでいきなり強く抱き締められ、その唇を奪われれば身構えてしまうのは当然だろう。
　さくらはどうしていいか分からず、少年の唇が触れた瞬間には拳を握ってしまった。瞳を閉じることも忘れていた。
　香港から帰ってきた小狼の疲れを癒し、あわよくば楽しいおしゃべりの時間を過ごしたいと思っていた彼女の考えは、不意を突いた小狼の甘い攻撃で無惨にも打ち砕かれてしまった。
　頭の中はパニックに陥っている。いつもの小狼なら、決してこんな事はしないはずだ。
　時々、ちょっと意地悪なことはされても大切に大切に自分を夢の世界へ導いてくれる。それが急にこんな。
　いつの間にか閉じられた瞳の奥で感じていた。ドキドキが加速していく。目の前の、今キスをしてくれている男の子が小狼であることはさくらの五感全てが伝えている。いつもとは違う強引なキスがさくらの心臓を鷲掴みにし、鼓動が身体の芯を貫いていく。
　ゆったりした甘い時間を過ごす中での口づけでも、いまだにドキドキが停まらなくなると言うのに。それが不意打ちではもう、冷静に考えていられる余裕はない。早すぎる心臓の鼓動が息苦しささえ感じさせる。
　だから、ついついさくらは助けを求めるように、握っていた拳を解き、その両手をゆっくりと小狼の背中へ回した。
　それが少年の衝動を加速させてしまうとも知らず。
（あ…）
　ここで端と気付く。今の小狼は上半身に何も身に付けていない。彼の熱が両の手の平の素肌を通して直に感じられる。滑らかだけどたくましい筋力を感じさせる生身の手触り。
　喉の奥の方で何かがキュンと鳴った気がした。

　背中に触れたさくらの両手は予想以上に温かい。小狼自身がシャワーを浴びた直後のせいかもしれないが。
　小狼はその熱を受けて自分の官能が、どうにも抑えられなくなっていくのを感じた。
　その正体は欲望という名の獣。彼女の体を欲して止まない男の本能。少年の頑強な理性の檻を巧みにすり抜け、本能に囁きかける、まさに悪魔のような存在。
　下半身が熱く重くなっていく。みっともないと思いつつも少年はそれを隠そうとはしなかった。
　平生の小狼ならどんなに本能が暴走しようとも無理矢理に理性を働かせ、さくらを引き剥がしたことだろう。その上で彼女に謝り場合によっては、彼女が帰るまでそれを解放することはしないはずだ。
　だが、今の小狼にそれを望むのは酷だ。例え本人が強くそうしようと思っていも。
　李本家から急を要すると呼び出された仕事を片付け、３日ぶりに友枝町へ戻ってきたのは、ほんの数分前。心身共に疲労はピークに達している。加えて３日間全く連絡を取らなかったさくらへの謝罪の気持ちと後ろめたさ。早く会って話したいという欲求は何よりも強くなっている。
　その上、本当の意味で彼女と結ばれてから、ここ数週間の間は２日に空けず肌を合わせていたというお膳立てが出来上がっていた。
　そして追い撃ちをかけるようなさくらのセリフ。小狼は彼女も自分と同じように濃密な愛にまみれた時間を思い、眠れなかったものと解釈していた。
　これだけの条件が揃えば、あの甘すぎる肌の柔らかさを知っている小狼自身に、もはや一度スイッチが入った己の情欲を止めることは不可能だろう。
　せっかくシャワーを浴びて頭をリセットしようとした小狼の作戦も、さくらが直接訪ねてきては意味を成すはずもなく。
　少年の理性は彼女への思いで甘く浸食されてしまった。
（…ン）
　彼は自分の本能の命ずるまま、少女の唇を舌で舐めた。グミのようなその感触をゆっくり確かめる。無味無臭のはずのその唇を小狼の舌は甘いと感じている。盛んにそのシグナルを頭へ届けてくる。
　下半身に集まる熱がますます上昇し、少年の理性を溶かしていく。さらなる熱を求めている。
　彼に舐められたことで驚き、わずかに開いた彼女の唇を、小狼の舌は遠慮無く強引に割って口内への侵入を果たした。
　少女の少年の背中を抱く力が強くなる。
　目を閉じていても分かる。彼女の顔が真っ赤に染まっているのが。
　さくらのその姿を想像した途端、小狼の心臓が大きく跳ねた。

　さくらはもう否応なく、自分も小狼も鼓動が高まっていることを直感的に分かっていた。決して押しつけられているわけではないが、お互いに背中へ腕を回し抱き締め密着しあっているから、彼の下半身に起こった変化が分かってしまう。それに呼応するよう自分のお腹の下辺りが重くなり始めている。
　恥ずかしさのあまり少し冷静さの戻った頭で止めよう、止めようと思っても両手はますます強く彼の身体を抱き締め、言うことを聞いてくれない。
「ん、ふ…」
　鼻から漏れる自分の吐息が耳の奥をくすぐり、
　ピチャ、ピチャ…。
　と、口内でかわされる唾液の交換の音が、頭の奥、首の上辺りを揺らしている。
　小狼の舌は、唇と前歯の間の空間を何度も行き来し、その感触を確かめるよう撫でさすってくる。彼の舌はどこまでも熱い。彼の舌が触れた場所もまた、その熱に浮かされ熱くなる。もしかすると自分を求める彼の欲望がその場所を火傷させているのかもしれない。
　さくらは思わず炎のように燃えたぎる小狼の身体が全裸の自分を包み、燃やし尽くしてしまう様を想像し軽い目まいを覚えた。
　それは彼に抱かれている間に感じる熱病にも似た浮遊感。
　それは安らぎと焦燥がない交ぜになったような、彼を欲する渇望。
　少年の舌を通して流し込まれる小狼の唾液は甘い恋のトキメキを何倍にも濃縮した愛のカクテルだ。味わうほどに身体の芯が火照る。腰から背中を経て後頭部に駆け抜ける電流。
　彼女は自分の下半身で生まれ始めた甘い疼きを自覚する。
　恥ずかしさのあまり彼を突き飛ばしてこの場から逃げ出してしまいたい思いの裏で、彼自身を欲して切なく震える自分自身がいる。
　さくらは知っている。ここから一歩でも先へ踏み込んでしまったら止まることは出来ないと。止めることは出来ないと。
　だがその先に、何もかも忘れて真っ白になれる、小狼を信じ、小狼だけを好きでいられる瞬間が訪れることもさくらは知っている。
　少女はそれ以上、考えることをやめた。

「ふゥ…ウフ…」
　さくらの鼻から漏れる吐息を聞きながら、小狼はこれ以上ないくらいに興奮していた。
　目を閉じ、視覚以外から送られてくる全ての感覚に意識を集中し、自分の本能が求める欲望を満たそうとする。彼女の吐息と自分の舌が彼女の口内をかき回す音は頭の中で不協和な旋律を描き、自分自身の鼓動がリズムを添える。その演奏は強弱を付けつつも、徐々にスピードと強さを増し、二人の意識を追い詰めていく。
　早鐘のように脈打つ自分の鼓動に促されるよう、小狼の舌がそれまで遠慮がちに愛撫していた彼女の前歯からもう一歩深い場所へ分け入っていった。
　彼女の肩がビクッと震える。
　そこは官能のポイントの１つ。小狼が何度目かの深いキスで探し出していたさくらのそれ。
　上の前歯の裏から、上あごにかけて舌で撫でてやるとさくらの反応が一際大きくなる。時折、舌を舌で絡め取る動きを加えると彼女の吐息は更に短く激しいものに変わる。
　けれどさくらの反応があまりに激しすぎたから。
　さくらがもう窒息してしまいそうに感じたから。
　小狼は一瞬、その恐怖に駆られ、侵入させていた舌を引っ込める。密着していた唇を放す。
　行為の名残を惜しむように２人の唇の間を銀色の細い橋が繋げた。
　小狼はさくらより一呼吸早く、まぶたを開いた。顎を上向きに突き出し、瞳を閉じて顔を真っ赤に染めているさくら。それだけなら軽いキスをした後のようで可愛らしいのだが、唇とその周りが妖しく濡れ光る様は、この上なく欲情を誘う。自分の顔の数センチ先で開かれた彼女の瞳は濡れてトロンとしている。微妙にズレている焦点。
　強烈な愛しさと情欲が小狼のわずかばかりの理性を食い尽くしていく。
「さくら…」
　愛しい彼女の名前を２人にしか聞こえない声で囁く。
　焦点の合っていない瞳が揺れ、息が吐き出される。
「しゃ…」
　開きかけた唇から発せられた音はそこで止まり、唇が閉じた。
　それから彼女の表情が蕩けた瞳のままゆっくり緩む。
　それは女神の妖しい微笑みか。
　それとも淫魔の愛らしい微笑みか。
　小狼が一瞬、その顔に見とれている間に、今度はさくらが。彼女の舌が小狼の口内へ侵入した。

　小狼の唇が離れた瞬間、さくらは息苦しさから解放された爽快感と、少年が与えてくれた甘い疼きと、急に彼の唇が離された喪失感を一緒に味わっていた。心の中で色んな感情がない交ぜになって渦巻いている。
　こんなにしっかり抱き合っている心地よさ。大好きで大好きな人が本当にすぐ目の前にいる。大好きすぎて愛しすぎて、もうどうにも止まらないココロ。けれど、こんな近くにいるのに、満たされない物悲しさがこみ上げてくる。この空虚感はなんだろう。
　さくらは静かにまぶたを開き、小狼を捜す。
　ぼんやりと涙でかすむ彼の顔がある。
　目の前にある。
　頬を真っ赤にして、誰にも見せない表情と、自分を求めている瞳。
　自分と小狼が共有している気持ち。
　相手の全てを何よりも欲している気持ち。
　そして――、お互いに信じ切らなければ、吐き出すことの出来ない気持ち。
　何もかも全てを忘れて、相手にゆだねられる気持ち良さ。
「さくら…」
　ふと呼ばれた自分の名前が耳に気持ち良くて。
　小狼くんにもこの気持ちよさを知って欲しくて、名前を呼ぼうとしたけど。
　ううん、それだけじゃ足りない。小狼くんにはもっともっと気持ち良くなって貰いたいから。一緒にもっともっと。
　だから私から。大好きな小狼くんへ。

　そして２人は幾度となく、名前を呼び合い。
　それから白濁した意識の中、恋人同士の吐息を交わしあった。
　やがてその向こうに訪れたものは、どろりと溶けた２人だけの、２人きりの夢の世界だった。

＊
「もう…！　小狼くんたらイキナリなんだもん！」
　お風呂上がり。小狼に髪を乾かして貰いながら、さくらはストレートに不満をぶつけた。
　時折ドライヤーの風に乗って漂ってくるいつもと違うシャンプーの薫りが少年との行為を思い起こさせるためか、語気は決して強くない。
（小狼くんとおんなじニオイだ…）
　そう思うと、嬉しかったり、気恥ずかしかったりする。
「ゴメン…」
　さくらのそんな心の内を知ってか知らずか、小狼は今日何度目かの謝罪の言葉を口にした。自分が晒した痴態を思い返すと、恥ずかしいやら情けないやらで、小狼はますます肩身が狭くなる思いに駆られた。
　雪崩れ込むように彼女を求め、リビングで２回、お風呂で１回半も己の欲望を充足させたばかりなのに、さくらの白いうなじを見ていると己の中にまた熱がくすぶり始める。
　我ながら本当に情けないと思う。昔はあれほど欲望をコントロールできたというのに。さくら以外のことならポーカーフェイスを貫けるというのに。
　さくらのハチミツ色の髪を梳く感触を楽しみながら、小狼は思う。
　この少女に自分はどれだけ狂い、狂わされていくのだろうと。不安と、彼女を己の欲望で振り回してしまう後悔がある一方、それを望む自分がいることも事実。
「…でも…。その…、嬉しかったよ…。私を………。だからもっと……」
　さくらの言葉は最後の方が消え入りそうなほど小さかった。
　耳も首筋も真っ赤にしてそう告げる彼女。それはさくらの素直な感情の吐露。たったの３日間とはいえ小狼を失っていたに等しい彼女の、心の隙間を埋める言葉。恥ずかしさにまみれてもさくらはその言葉を小狼に伝えたいと思った。一心に自分を求めてくれた小狼へ。
「…ああ。
　ありがとう」
　彼女を今すぐ抱き締めたい。その衝動を抑えながら、小狼はそう口にした。なぜありがとうなのか、自分ではよく分からない。だが、今のさくらに対する自分の感情を最も適切に表している言葉がそれだと思ったから、小狼は心に対して素直に表現した。
「ン…」
　さくらは小狼の言葉を噛みしめ小さく頷くと、そのまま俯いてしまった。
　何かまずいことを言ってしまったのだろうか、と彼女の行動を不可解に思った小狼が、さくらの顔を伺おうとしたけれどその心配は杞憂に終わる。彼女の耳はさっきよりも更に真っ赤になっていた。
　その行為は既に済んでしまったが、改めて小狼は確信する。彼女も会えなかった３日間、ずっと自分を思い、求めていてくれたことを。
　小狼の心が溢れんばかりの幸福で満たされる。
　さくらが愛しくて堪らない。
　すると恋の魔物は欲張りなもので、今度はちょっと意地悪な考えが頭をもたげてくる。少年の少しひねくれた性格が顔を覗かせる。
「なぁ、さくら。今日は泊まっていくのか？」

「ほえ？」
　小狼の突拍子もない質問で、さくらは思わず顔を上げて振り返り、壁の時計を見つめる。顔の熱はまだ引いていない。
　帰宅時間を心配してくれたのだろうか。それにしては日が短くなったとはいえ、まだ早いような気がする。
「んーん。
　夕飯作りに来たんだよ。小狼くんが疲れてると思って…」
　素直なさくらの答えを聞いて、小狼が内心ほくそ笑む。
「さっき…、“もっと”って言ったよな？」
　声のトーンが低くなる。口調もいつもの優しいものではない。
「あ！？」
　彼の雰囲気が変わったことを悟るさくら。自分がほんの数秒前に、囁くよう小さな声で吐き出したセリフを思い出す。湯気の出そうな勢いで顔が羞恥の赤に染まった。彼の声が意味するのはつまりそう言うこと。
　しかも、
（これって私から“誘ってる”って事になるよね！？）
　あながち否定できない部分もあり、さくらは両手で口元を隠し、プルプルと顔を振る。
「さくら……」
　彼女の可愛すぎる反応に吸い込まれるよう、小狼の真摯な瞳が近づいてくる。
　またそう言うことをするのかと思うと、さくらの頭の中で色々な考えがぐるぐる回った。
（これじゃ私がエッチな娘だって思われちゃうよね？　小狼くんにそう思われちゃうのはいやだけど、小狼くんとそう言うコトするのは嫌いじゃないし、小狼くんが大好きだから、そうなるのは当たり前だけど。でもやっぱり小狼くんにはそう思われるのは…。はぅ―――！）
　さくらの思考回路がショートしている間に小狼の顔は瞳の奥が覗けるほど近づいていた。手をかざして止めるというような抵抗を示さず、さくらはただ流れに任せている。頭の中がパニックになっていたせいもあるが、もしそのまま行為に突入してしまってもいいと、心のどこかで許容していたのだろう。
　小さな覚悟を胸に秘め、さくらが瞳を閉じようとしたほんの少し前、
「フ…」
　と小狼の顔が綻んだ。
「…ア！」
　彼女は瞬間的に理解した。今のは小狼が悪戯の時に見せる表情。
　さくらがたった今、心に決めた覚悟はなんだったのか。
　嬉しさと羞恥に染まっていた顔が、拍子抜けし、更に不満顔へ変わろうとするわずかな間に、さくらは小狼によって抱き締められていた。
　今日、この部屋を訪れた最初と同じように。
「ありがとう。大好きだ。さくら…」
　気後れしているさくらの耳へ、小狼の柔らかい声が吸い込まれていった。
　耳元でこんな言葉を囁かれては、怒る気も失せてしまう。
　それは多分少年が、少女の中の気持ちも自分の中の気持ちも全てひっくるめて抱き締めてくれた言葉。
　さっきのは悪戯じゃなくて、私の勝手な思い違い。
　真剣な小狼くんの態度が分からなくて、ちょっと恥ずかしい。やっぱり私は“もっと”甘えたかったのかな。
「私も大好き…」
　激しい愛の嵐がようやく収まり、穏やかな気持ちが広がっていくことをさくらは感じていた。彼と同じように自分も小狼を抱き締め返す。
　紡いだ言葉、そのままの思いを込めて。

　少年は少女へのありったけの思いを込めて抱き締めていた。
　まだ自分の中で熱はくすぶっているけれど、さくらとなら大丈夫な気がする。自分の中の醜い獣を晒してもさくらなら受け止めてくれる、そんな気がしていた。
　これからも俺はさくらのために一喜一憂し、怒ったり、嫉妬することもあるだろう。
　けれど俺は絶対さくらを嫌ったりしない。いつでもお前の味方だ。
　小狼の中に溢れたのは欲望ではなく、さくらを一心に思う、そんな優しい気持ちだった。

＊
　人は誰でも心の中に獣を飼っている―――。
　実態のない幻のようなそれは、時に暴走し、人を醜く彩る。
　しかしもし、その獣を受け入れ、自分の力にすることが出来たら。
　それは自分を信じ、誰かを信じる事とも同じ。
　それは何よりも強い力に、強い絆になるのかもしれない。